慶長9年(1604)に江戸を中心として街道が整備された。当時街道は、東海道・中仙道・日光道中・甲州道中・奥州道中を五街道と称し、これ以外は脇街道または脇往還と称した。
陸前浜街道は東海道の一部であったが、江戸以北は脇街道とされ江戸−水戸間は江戸街道(水戸街道)、水戸以北を岩城相馬街道と称した。江戸時代は総称して浜街道と言われていたが、明治5年以降は明治政府の公用語として通称「陸前浜街道」と呼ばれるようになった。
明治9年国道が定められ、明治18よりに陸前浜街道は第14号国道(日本橋−水戸)、第15号国道(水戸−宮城県岩沼)となり、大正9年に国道6号となった。
また、源義家の奥州征伐当時の道といわれる南高野の古代街道があり、わずかながらその一部の痕跡を残している。(出展:「日立みなみ風土記」日立みなみ歴史民俗研究会編より抜粋) |