[離山夕照]


【大体の場所】 現在の離山はもと逃山とも云った。 南高野よりつづいて海面に突出した山であったが、石神後鑑記にある鬼追坂と云う坂のあたりから切り拓いて道路とした為に離れ山となったもので、その割り拓いた所を今でも割山と云っている。場所は現在舟戸山共同墓地のあたりで、昔「久慈城」があった所と推定される。 そこから西の方を眺めると広大な田畑が広がり、遥か彼方の地平線に沈む夕日は今でも見事である。また筑波山も遠望できる。  

【旧写真の説明】 
(久慈の古城)         
 離山の古城には誰が住んでいたかは定かでない が、元龜天正(1570〜1591年)の昔佐竹幕下にあった久慈館はこの 城のことで宇佐美三九郎が住んでいたもの と思われる。離山は今でも城山とも云っている。

【周辺案内】

離山の遠景

(山が道路で分断され離れたことから離れ山と云われる)


・釜坂夜雨 ・寺山晩鐘 ・三反田落雁 ・鉄砲場晴嵐
・千福寺帰帆 ・離山夕照 ・大石倉秋月 ・天王山暮雪
日立みなみ 私の散歩道 久慈八景