鮎川は高鈴山を源とした、河口まで約11km、流域面積約16.8k㎡の二級河川です。多賀の山並みを瀬に、鮎川に沿って南東に開けた水と緑に恵まれた地は、遠く縄文時代から人が生活をしていた遺跡が発見されており、奈良時代には登窯で布目瓦が作られた史跡があるなど古くから人の営みがあったことが伺えます。
鎌倉時代には信州諏訪神社(現諏訪大社)分社が当地に勧請(かんじょう)され、諏訪神社・上諏訪神社が建立され現在に至っています。また近代では北の沢鉱山(後の諏訪鉱山)で銅鉱石採鉱が行われ、太平田鉱山では石灰石の採鉱が現在も行われています。
鮎川の恩恵は稲作をはじめ、生活用水として油縄子、成沢、戸沢方面までにも及んでいました。鮎川はもと諏訪川と呼ばれていましたが、光圀公がこの地に多摩川の鮎を取り寄せて放流したのが、その名の起こりといわれています。
この川も第2次世界大戦後生活雑排水等で汚染されましたが、公共下水道の普及と「鮎川をきれいにする会」や地元の人たちの活動で浄化が進み、鮎・うなぎ・えびだけでなく鮭の遡上も年々多く見られるようになってきました。諏訪梅林の川辺には、春から秋にかけて、多くの家族連れの楽しむ姿が見られます
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