鮎川浜旅館

 明治期から昭和初期にかけて、鮎川海岸には六軒もの海水浴旅館が営業していた。大正十四年発刊の『多賀郡郷土史』によると、河合屋・海風館・松島館・鮎川楼・島崎館・祝倢館がそれで、このうち河合屋をのぞいて五軒は鮎川の左岸にあった。いまも営業を続けているのは島崎館と、祝倢館の後身である汐見旅館だけである。



 鮎川河口の右岸は崖地で、多賀層と呼ばれる擬灰質泥岩の露出がみられ、その上部はツバキ・トベラ・マサキ・オオバイボタ・マルバグミ・ヤツデなどの植生で覆われている。 強い潮風を直接受ける海岸崖地では、これらの樹木の頭部が、あたかも大きな刈込鋏で刈り揃えたような状態(風衝草原という)となり見事である。
 また赤彦が鮎川浜から、友人の中村憲吉に出した端書に、この川の岸、崖下の道等にちょいちょい椿が咲いてゐる」とあるが、現在でもヤブツバキは、赤彦が鮎川浜を訪れた当時そのままに、強い風にめげず、紅い花を咲かせているのである


昭和初期の鮎川浜海水浴旅館
鮎川の左岸に5軒、右岸に1軒が営業していた。

昭和初期の鮎川浜海水浴旅館「祝倢館」
(現在の汐見旅館)

(水庭 久尚)

出典:ふるさと探訪 -日立の再発見- (財)日立市民文化事業団 刊(平成11年3月31日発行)
出典:日立市郷土博物館主催 特別展示「日立の絵葉書展」図録 日立の絵はがき紀行
        編集日立市郷土博物館(1997年11月14日発行)

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