島木赤彦歌碑と鮎川浜焼石湯記念碑

 アララギ派の代表的歌人である島木赤彦が市内鮎川海岸の島崎館に逗留したのは、大正十五年一月のことである。鮎川浜の焼石湯が宿痾の胃腸病に効くと知人にすすめられてのことであつた。
赤彦は一月八日午前一〇時五五分上野を発ち、午後三時二一分下孫駅(現在の常陸多賀駅)に着いた。ここから赤彦は、おそらく人力車に乗って、島崎館へ来たものと思われれる。
 焼石湯とは、鮎川浜焼石湯記念碑によれば「浴槽に潮水を汲み込み、それに真っ赤に焼いた鮎川の青い石を投げ入れて沸かす、全国でも珍しいもので、万病に効くと言う評判から大いに繁昌し、近在はもとより遠方から訪れる文人の湯治客も少なくなかった」とある。
いわば焼石湯とは、海水を沸かして入浴する潮湯の一種であるが、湯を沸かす方法が鮎川の河口にある青石を真っ赤に焼いて、浴槽に投げ入れるという、一風変わった趣きの風呂であった。  日立の海岸では、古くから海水を沸かして入浴する潮湯治という風習があって、農作業の一段落した農閑期には骨休みの意味もあった。また健康のためにも有効ということで、海のない地方から来遊する湯治客も少くなかった。
 最近、海水浴のみならず、海が持っている医学的な治療効果が見直されており、海洋療法(タラソテラピー)が世間の注目を浴びるようになっているが、焼石湯はさしずめその先駆けをなしたものと言ってもよいだろう。
 しかし焼石湯は、赤彦の宿痾を癒すまでには至らなかった。赤彦の病は、胃癌であったといわれている。
   夕毎に海の南の雲を染めて
   茜根にほへり風寒みつつ
 この歌は、赤彦が鮎川海岸に逗留中詠んだ歌で、この歌碑が昭和五十九年三月、市内外の有志の手によって、赤彦ゆかりの地鮎川河口に建てられた。またその際、前記の焼石湯を記念する碑も併せて建てられたのである。(水庭尚久)

出典:ふるさと探訪 -日立の再発見-  (財)日立市民文化事業団刊

(戻る) (次へ)