諏訪の水穴

 日立史によると、諏訪の水穴は大久保の風穴とともに小規模ながら見事な鍾乳洞である。洞の中には一ノ戸、二ノ戸、三ノ戸と名づけられる場所があって、三ノ戸から奥へ入っていけないといわれている。
 昔この地に諏訪神社に関係ある万年太夫という者がいて(奥方は千年太夫という)、水穴の奥を究めようと夫婦で多量の籾殻を背負い少しづつ流して、その前進を水穴の入口に見張っていた村人に知らせた。それが七日間続いたのち籾殻は流れてこなくなり、万年太夫夫婦は、とうとう水穴から出てこなかった。
 後年徳川光圀がこの水穴に入り、三ノ戸の石壁に「ここより入るまじ」と刻んで引き返したともいう。また水穴は信州の諏訪湖に通じているともいわれる。

十数年前砂利で埋没していた水穴を、住民と地元消防団が整地し、立派に復元されました(現在の水面から3~4mの高さに砂利があった)

出典:地名を訪ねて(瀬谷房之助 昭和56年11月10日第2刷発行)



水穴の入口


入口から二の戸までの順路







石碑
 

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