甦る鮎川

 この記事は、平成14年2月に開催された、大好きいばらき県民会議主催「地球環境フォーラム2002」において、「鮎川をきれいにする会」から発表された活動事例「鮎川の蘇生と鮭の帰川」より、関係者の了解を頂き抜粋編集したものです。

 鮎川は高鈴山に源を発し太平洋に注ぐ延長11キロほどの川です。中流の諏訪の梅林は、観梅で賑わっています。
 中流からは市街地を流れているために、戦後の高度経済成長期に、工場廃水や家庭からの雑排水による水質汚濁がひどくなりました。行政の排水規制および公共下水道の整備が行われ、それと相侯って、地元小学校学区の住民有志が集まり「鮎川をきれいにする会」が結成され、川の清掃活動が行われ「汚さない」「汚させない」モラルが向上し、汚染は急速に回復に向かいました。
 これは水の濁り度を示すBOD(Biochemical Oxygen Demand:生化学的酸素要求量)値の向上経過を示したものです。左側が高いのは汚れがひどいことを示し、右に向かって低いのは会の活動によって、このように水質が改善されました。現在では、BODが1mg/L以下となるほどきれいになりました。
(表「BOD経年変化」と「鮎川の70年」は、表の上でクリックすると拡大表示されます)
 BOD値が1.5mg/Lに回復した昭和58年(1983)に5,000匹のサケ稚魚放流を行いました。回帰性を持ったサケが果してこの水質で生きて太平洋に出られるか、3~4年後に戻るかどうか心配しながら試みたのです。
 ところが3年後の昭和61年(1986)サケが50年ぶりに遡上し歓喜しました。この水質で生きられたのです。
 これを踏まえて、小学校と連携を取り情操教育用として平成元年(1989)から放流を開始しました。「サケよ帰ってこい」の横断幕が張られテレビで放送になりました。
 4年かかって母川にたどり着きましたが、目の前の河口の段差がきつくて上れないのです。原因は水量がすくなくて土砂を押し流せないのです。
帰川に先立って10月始めは、河口の開鑿(かいさく)を行ないます。可愛いサケが旅から帰ったのです。その苦労を思うと何でも在りません。こんなやさしさが街づくりの原点なのです。
 幸いに川は浅瀬なので、産卵の劇的な瞬間が手に取るように見ることが出来ます。愛情の表現は人間と変わらないのに気付きました。メールで発信したので遠方からも駆けつけ称賛を受けました。鮎川の風物詩が加わりました。
初めの昭和62年は稚魚を貰い受けて放流しました。4回目からは会員の手で孵化しました。受精卵を貰い受け自家で孵化し、これを放流しています。
 鮎川渓谷探勝会は平成2年から夏休み子供会の行事として開始、新しい発見と夢と希望を与える場になっています。


サケの稚魚放流


鮎川を遡上するサケ

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