弘道館は天保12(1841)年烈公(徳川斉昭)により
開かれた藩校で、水戸城三の丸にあり敷地の総面積は約
2万平方メ−トル。正庁を中心に右に文館、左に武館
を配し、天文・数学・地図等の館と、養牛場・薬草園を持つ
医学館などが立ち並び、総合大学の偉容を示していた。
敷地西側の大半は武術調練場と馬場で、中央の広場の梅林
の中に鹿島神社と孔子廟が祀られていた。
正門と正庁、それに続く至善堂(徳川慶喜公退隠の
場所)は今なお昔の姿をとどめており、国の重要文化財に
指定されている。
弘道館はその規模・学科内容ともに当時我国一であった。
ここは、「学問と事業の一致」・「文武不岐」が特長で、
明確な理想を持ち、水戸学のメッカとして明治維新前後
に活躍した全国の幾多の志士に大きな影響を与えた。
特に初代総裁会沢正志斎が著わした「新論」や、
藤田東湖の「正気の歌」などは有名である。
水戸藩の子弟でここで文武両道を学ぶ者は諸生と呼ばれた。
慶喜(幼名七郎麿)も弘化4年(1847)11才で一橋家
の養子となる迄ここで一緒に学んだといわれる。
(左図は現在の弘道館の配置図)
なお、早春には構内外で美しい梅の花が見られる。
弘道館正庁 至善堂
-
孔子廟 八卦堂
-