茂宮川水源と支流 亀作川とその周辺 落見川散策 弁天川と真弓神社

 落見川は大和田町を水源とし、茂宮地域を流れ、五部橋(ごへいばし)先より茂宮町・留町の境をなして茂宮川へ合流している。茂宮町は大和田町とくらべて低地のため、排水路の役目をしているようである。
 昭和20年代の頃までは、落見川の水量が多かったので、四ツ手綱漁法によりいろいろの魚をたくさん取ることができた。綱を川へ沈め、5〜10分位おいて、網を曳き網を揚げると、ふな・なまず・うなぎ等が四ツ手綱の中へ沢山捕れたのを見ることができた。昭和30年代以降になってからは、世の移り変わりには勝てず、いつのまにか四ツ手綱小屋も取りはずされ、平成12年3月まで、五部橋付近に残っていた唯一つの小屋も河川改修のため取り壊され、四ツ手綱小屋も遂に姿を消してしまった。
写真上は五部橋、写真左は在りし日の四ツ手網小屋
(出展:日立みなみ風土記 日立みなみ歴史民俗研究会編、
四ツ手網小屋写真は「ひたちの自然、まちなみ、そして人」(日立市生活環境部市民活動課編集、日立市文化のまちづくり懇談会発行)より)

荒屋遺跡 日立地方の各所に、山麓まで湾入していた海水が後退し、久慈川流域や茂宮川付近の低地は湿地帯となり、一面に葦が生い茂り、それを開拓して、現在のような形態になり、人が住む集落があらわれるようになったのである。
 これらは何十万年前の地質時代からみれば、古墳時代の荒屋潰跡は新しく1500〜1700年前となる。現在の集落を形成したのは、更に新しい時代である。
 この遺跡からどのようなものが出土したかさだかではないが、現況は水田・宅地・畑となっており、遺跡番号133号、地図番号は77・78・81となっている左の地図はクリックすると拡大表示します。(郷土博物館資料)

熊野神社 熊野神社は、茂宮町字十二所(じんしょ)の面積1,500uの杉林中程に鎮座している。神社の境内には、同神社の改築記念碑「沿革」が建っている。
 茂宮の鎮守として延宝3年(1675)紀伊国熊野有馬村から遷宮されて「十二所明神様」と称された。これは高根家秋田移住の折、茂宮村に土着した一族高根家がはじめて勧請した年であろうと考えられる。(出展:日立みなみ風土記 日立みなみ歴史 民俗研究会編)

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