日立電鉄鮎川駅


― 工場の町を走るローカル鉄道日立電鉄 ―

 鮎川河口近くに日立電鉄鮎川駅がある。現在は車が途絶えない245号線の脇にひっそりと駅舎が建っている。
 日立電鉄は昭和54年3月に出版された「日立電鉄五十年史」によると、昭和2年8月に常北電気鉄道株式会社が設立され、常陸太田市に本社をおいたのが始まりとされ、昭和10年3月に日立製作所グループに加わり、19年7月に社名を日立電鉄株式会社として、本社を日立市においた、とある。
 現在、常陸太田市の常北太田駅から、日立市の鮎川駅までの13駅18.1kmを運行しており、日立市内にある電気製品の工場に勤める人々にとって大切な足となってきた鉄道である。
 この電鉄沿線の風景は、春夏秋冬、それぞれの季節の移り変わりの姿を見せ、短い電車の旅は楽しいものである。特に秋の季節、刈り取られた稲たばがおだ掛けにほされ、落穂ひろいの農婦の姿や籾殻を焼いている煙がたなびいている農村風景は、このチンチン電車ならではの風情をみせている。
 戦後の経済成長期前までの鮎川駅は、周辺が畑に囲まれ民家も数軒あるだけで、遠くからでも駅舎が見えるような農村地帯であった。現在では245号沿いの建物に囲まれて、駅舎は余り目立たない存在になってしまっている。
鮎川駅は客の乗り降りのほかに、もう一つの重要な任務がある。それは走行が終わった車輌の点検所として、駅舎から鮎川よりに延長された路線上で定期的に点検・整備を行なっている。(写真左)
 日立電鉄線は、昭和17年の段階では、日立製作所日立工場(当時)まで結ぶ計画が立てられ、敷設免許まで得ていた。しかし建設費の超過、予想に反して利用者が少なかったこと等悪条件が重なったため、日立までの延長計画は断念することになってしまった。
従って、終点鮎川駅はターミナルとしての意義をもつことなく今日に至っているわけである。
 電気製品の町を象徴する日立電鉄もマイカー時代の社会の中で、乗降人員は1961年の717万人をピークに減少を続け、2002年度は177万人となった。また、1988年度からは赤字路線となり、利用客の減少に歯止めがかからず、路線廃止のやむなきに至った。平成17年3月31日を以て営業を停止することになった。

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