鮎川町の太平洋に面した台地に仕込み蔵があり、屋上からは太平洋が望める。敷地北側の台地崖下を鮎川が流れ、その川沿いに大木が茂って、帯状の森が形成されている。
江戸時代中期の享保元年(1716)、現在地で創業。当時、一帯はほとんど農地で、蔵元の嶋崎家は当地の地主だった。今も敷地内には、百年ほど前に建てられたという四脚門(よつあしもん)が現存し、黒瓦・黒板壁の大きな木造建築が幾棟も建っている。
海に近いが、この辺りは標高29mの高台であり、屋敷内に掘ってある深さ135mの井戸から酒造りに適した水が得られる。五十年ほど前、この井戸を、昔から絶えることなく水を出してくれる貴い井戸、という意味で「御貴井戸(ごきいど)」と命名し、その水は恵みの水である、ということろから「恵泉」とも呼ばれこれを代表銘柄にしたという。現在は南部杜氏(とうじ)・蔵人(くらびと)4人が冬季に純米、本醸造、吟醸、普通の各酒を仕込む。
杜氏・蔵人が総勢12人も来て大量に造っていた時代もあったが、量より質が求められる時代となり、現在、生産量は千石(約180キロリットル)程度を維持している。
酒類卸売りの別会社を持っており、これを通して日立市内を中心に県北地域や水戸市の小売店に出すほか、東京方面にも出荷している。 【出典:常陽芸文1997/6月号より抜粋】
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