日立の徳川家史跡19

大内家


 大みかから石名坂を下ると久慈川流域に入る。
旧岩城相馬街道の 茂宮川沿いに 大内家がある。 ここは佐竹家ゆかりの郷士であり、水戸藩より代々50石を支給されていた。
光圀は在世中十数回もここを訪れて宿泊し、ここから久慈浜をはじめ 現日立市内の各地を訪れている。
元禄3年(1690)末光圀は家督を綱条に譲り、大内家を訪ねて正月をそこで 迎えている。
また元禄6年(1693)には安積澹泊や日乗上人らと詩歌の会を催して、 久慈9景(現在の坂下八景)を選んでいる。
石名坂の中腹には西行法師が詠んだ次の歌碑がある。(左写真)
   「世の人のねさめせよとて千鳥なく   名坂のさとのちかきはまべに」
なお、近くには日南舎会沢資料館があり、斉昭や東湖の書 などが展示されている。

        参考文献:「ひらけゆく日立みなみ」


           大内家邸跡付近          大内家邸跡より大橋・石名坂方面を望む

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