第四話  メキシコであわびをとる  北アメリカ大陸のメキシコの海であわびをとっていた会瀬の漁師がいました。七十年ほど前の大正から昭和にかけての時代です。
 会瀬からおよそ百名が数回に分けてメキシコにわたりました。世の中が不景気だったので出かせぎに行ったのです。

 大正八年にメキシコにわたった十四名は大変でした。横浜から帆船で出発したのですが途中、悪い天気にみまわれやっとのおもいでメキシコに到着しました。
 最初に渡った人たちぱメキシコの海岸にテント生活をしながら海産物を求めました。ついに目的の「あわび」のよい漁場を見つけました。
 会瀬でみがいたすぐれた潜水技術で「あわび」を沢山とりました。貝からはがした中味を乾かし売りました。よい収入だったので会瀬から仲間をよび寄せ、集団生活をしながら働きました。

 収入の多くは不景気に苦しむ会瀬の塚族に送りました。いかし、日本とアメリカが昭和十六年に戦争を始めてしまいましたので、みんなで相談して昭和十七年に多くの人が帰ってきました。

 

利保氏が発行した「関伊三郎海外日記」にメキシコでの労働が詳しく紹介されている。大正二年十二月南米移民船安洋丸で横浜出航した中に関 伊三郎氏の仲問六名、会瀬から三名がいた。伊三郎氏の要請で以後、大正八年十四名、大正十二年五十二名、昭和三年二十二名、昭和四年・七年に十二名と百名ほど渡航している。小さな集落から若者が百名も異国に出稼ぎに行ったのであるから不景気の様子が想像できる。

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