鮎川は高鈴山を源流として諏訪町を流れ、鮎川浜に流れる全長はおよそ11kmの2級河川である。鮎川はもと
諏訪川といわれていたが、水戸第2代藩主徳川光圀が多摩川の鮎を取り寄せて放流し、鮎の名所としたので鮎川
と呼ばれるようになった。
 元禄2年(1689)徳川光圀は諏訪神社に参拝した際に水穴に入り、百メートルほど先にある三の戸という所まで
辿って「ここより入るまじ」と刻んだといわれている。
 また、天保4年(1833)第9代藩主の徳川斉昭が初めて諏訪の地を訪れ自ら梅の木を植え、ここに梅林を作る
よう命じたといわれている。
 更には日立鉱山と並んで諏訪鉱山があったことで上諏訪小学校ができ、その跡にかみすわ山荘が作られた。
今回、鮎川上流にはこのような歴史があるので探訪してみた。
     期日  令和5年3月8日(水)
     経路  諏訪梅林→北の沢→かみすわ山荘→
         諏訪ダム→水穴→大平田鉱山跡
     取材  嶋﨑・近藤・宇梶 
     出典  『ふるさと諏訪』 諏訪神社社務所
         昭和60年5月1日発行

諏訪梅林
白梅や紅梅約300本ある諏訪梅林は、天保4年に徳川
斉昭が領内巡村の時、梅を植栽する命によりできた。
諏訪梅林
鮎川が諏訪梅林の南半分を包むように流れている。
写真前方に梅見橋が見える。夏には河原遊びができる。
北の沢地蔵
県道から2キロメートルほど鮎川沿いの道を走ると、右
手に北の沢地蔵堂、その向いには数軒の民家がある。
北の沢取水口
地蔵堂からさらに200mほど走ると、左手に北の沢
取水口がある。ここから日立鉱山へ送水したという。
上諏訪小学校跡
鮎川上流にあるかみすわ山荘は、上諏訪小学校跡地に
建てられた日帰りや宿泊のリクリエーション施設。
バーベキュー施設
かみすわ山荘のバーベキュー等ができる野外炊飯施設。
大きい木はスズカケノキ(プラタナス)である。
鮎川、下流側
かみすわ山荘の脇を鮎川が流れる。鮎川は元は諏訪川
の名称だったが、鮎を放流させた事から鮎川となった。
鮎川、上流側
上諏訪小学校には100人ほどの生徒がいた。夏休みに
は脇の鮎川を堰き止めしてプールとしても使われた。
アオイスミレ
かみすわ山荘脇から山道を登ると、陽の当たる道端に
小さなスミレが咲いていた。3月に咲くアオイスミレ。
諏訪ダム
日立鉱山が作ったという鮎川上流の諏訪ダム。北の沢
取水口は、このダムから約400メートル下流にある。
水穴
鮎川の下流へ戻り県道37号(日立常陸太田線)沿い
には石灰岩にできた鍾乳洞、諏訪の水穴がある。
水穴、西側
西穴で、前の写真の東穴とは中で繋がっている。
東穴は100メートルを超える洞になっている。
太平田鉱山跡
水穴から約500m県道37号を常陸太田市方面に進む
と日立セメントの太平田鉱山跡(コンベア下)がある。
太平田鉱山跡
写真前方には架空索道があった。石灰石をゴンドラに載
せ、約4km先の山根貯石場まで空中輸送されていた。
鮎川支流
日立セメントの太平田鉱山の中を県道37号が通る。
写真は、この県道に沿って流れる鮎川の支流である。
唐津沢
太平田鉱山の採石跡。この崖面は右へ四ツ峰(山)
の下まで続き、採掘跡が谷(唐津沢)になっている。