地名は、昔から慣れ親しんだ町名・大字・小字の呼び方から、町・丁目・番・号といった番号式が使われるようになり、歴史ある地名が忘れ去られるのではないか、現在、その地名が残っているか市内を巡ってみた。
 日立市十王町高原(たかはら)では、砂鉄から鉄を造るタタラ製鉄の遺跡があったという藤坂や沢平などを訪ねた。鉄滓(俗に金糞)や羽口(送風口)などの遺跡は確認できないが、砂鉄と土砂を水で分離した結果できたと思われる水田があった。藤坂や沢平の地名は、道路標識での記載を確認した。
 日立市下深萩町の良子(ややこ)や、日立市中深荻町の呉坪(くれつぼ)・悦子(えっこ)は、珍しい地名なので巡った。そこでは施設の看板に地名が記載されていることを確認した。撫子山は、呉坪と悦子の二つの集落を繋ぐ標高(340m)の山である。明治22年に入四間・中深荻・下深荻・東河内の4ヶ村を纏めて中里村ができたが、その時、村名を撫子村とする案もあった。
     期日  令和4年5月25日(水)
     経路  志毛→藤坂→沢平→良子
          →呉坪→撫子山→悦子
     取材  内藤・嶋﨑・近藤・宇梶 
 十王ダムから十王川に沿って県道60号を日立市十王町高原方面に3kmほど進むと、十王川にかかる古田橋があり左折すれば藤坂・沢平に向うことができる。古田橋のたもとには藤坂2.4km、沢平4.1kmと書かれた看板がある。

志毛(しもう)
古田橋から最初に志毛(しもう)に到着。ここは藤坂の
一部で、ここにタタラ遺跡があったという。
志毛(しもう)
志毛の広い水田は、砂鉄をとるために水で流れ
出た土砂が溜ってできたと思われる。
藤坂
日立市十王町高原の藤坂の公民館の敷地に樹齢200年
以上の百日紅(サルスベリ)の大木がある。
藤坂
藤坂にも鉄滓があったという。藤坂から約3kmの山道を
歩いて元の髙原小学校へ通学していた。
沢平
日立市十王町高原の沢平ではタタラ製鉄が行われて
いたという。この製鉄には燃料(薪)が大量に必要。
沢平
沢平の地は、東連津川の源流が流れている。製鉄
には水流のほか、谷間に風が流れることも必要。
良子(ややこ)
昼食の後、国道349を南下、中里発電所入口への旧道を
入る。日立市消防団第八分団(良子)の看板がある。
良子宿
棚倉道と言われた旧道は良子(ややこ)宿。武将佐竹氏
が北方への勢力拡大には重要な道で宿でもあった。
呉坪
国道349号棚倉道から油が崎で県道36号日立山方線
に入り、1kmで呉坪の入口。道の左に呉坪公民館。
呉坪
呉坪には『日立の湧水』で紹介されている呉坪の八幡
清水がある。この水は呉坪川となり、入四間川に合流。
撫子
呉坪から撫子山に登る。山頂へは分岐点を登るが、直
進すれば悦子へ下りられる。昔は通学路だった。
撫子山山頂
撫子山の山頂付近に能因法師の歌碑がある。撫子山は
能因法師の所縁の地、この地域の中心的役割があった。
悦子
悦子にある中深荻小学校跡から前方に撫子山が
見える。呉坪からこの山を越えて通学した。
悦子
中深荻小学校跡に中深荻公民館が建っている。入口脇
に悦子老人会館の看板。唯一地名を残す文字である。