令和4年8月4日
地名は、昔から慣れ親しんだ町名・大字・小字の呼び方から、町・丁目・番・号といった番号式が使われるようになり、歴史ある地名が忘れ去られるのではないか、現在、その地名が残っているか市内を巡ってみた。
日立市十王町高原(たかはら)では、砂鉄から鉄を造るタタラ製鉄の遺跡があったという藤坂や沢平などを訪ねた。鉄滓(俗に金糞)や羽口(送風口)などの遺跡は確認できないが、砂鉄と土砂を水で分離した結果できたと思われる水田があった。藤坂や沢平の地名は、道路標識での記載を確認した。
日立市下深萩町の良子(ややこ)や、日立市中深荻町の呉坪(くれつぼ)・悦子(えっこ)は、珍しい地名なので巡った。そこでは施設の看板に地名が記載されていることを確認した。撫子山は、呉坪と悦子の二つの集落を繋ぐ標高(340m)の山である。明治22年に入四間・中深荻・下深荻・東河内の4ヶ村を纏めて中里村ができたが、その時、村名を撫子村とする案もあった。
期日 令和4年5月25日(水)
経路 志毛→藤坂→沢平→良子
→呉坪→撫子山→悦子
取材 内藤・嶋﨑・近藤・宇梶
十王ダムから十王川に沿って県道60号を日立市十王町高原方面に3kmほど進むと、十王川にかかる古田橋があり左折すれば藤坂・沢平に向うことができる。古田橋のたもとには藤坂2.4km、沢平4.1kmと書かれた看板がある。