129 ズリ山の記憶 日立市十王町 櫛形炭鉱

 2004年 (平成16年) 11月に日立市と合併した 十王町には 炭鉱が存在した。 石炭は 1960年代に石油にとってかわられるまで 日本の産業を支える重要なエネルギー源であった。 櫛形炭鉱は 常磐地区では 比較的新しい炭鉱である。昭和の戦時下に出発し、戦後に規模を拡大して、 常磐地区では最後となる 1973年 (昭和48年) 3月に閉山するまで 石炭を掘り続けたのである。

 旧日立電鉄線 久慈浜駅前で 代々写真館を営む 小林 弘さんは、1966年 (昭和41年) 3月の一日 高萩炭鉱(株) に勤める知人のつてで 櫛形炭鉱の坑内に入り、働く人々を撮影した。 また日を改めて 坑外や 高萩炭鉱(高萩市) の風景もカメラに収めた。
櫛形炭鉱_発破のあと
発破のあと     撮影:小林 弘
 撮影機材は 35ミリ判 レンジファインダーカメラ キヤノンP に 35mm広角レンズを装着し、ナショナルストロボを携行。 フィルムは富士写真フィルムの ネオパンSSS ( 黒白 ASA 200 = ISO 200 相当 ) を使用した。

 これらの写真記録は 榎本 實さんから 自主グループ "郷土史を学ぶ会" に紹介されたのがきっかけで、、 市民企画展として提案され、日立市郷土博物館の正式な催事として採用された。
 あわせて116枚のネガから40枚を選び 説明をつけて、2010年 (平成22年) 2月10日 から 4月12日 まで、日立市郷土博物館2階ギャラリーで 「ズリ山の記憶 日立市十王町 櫛形炭鉱」 として展示した。

 開催日の前日 準備中のところに訪れた県西のグループを始め、期間中 茨城県外を含む 多くの人々に観覧していただいた。 当時 坑内で働いていて被写体となった方が 家族を同伴して来場し ご自分の写真と対面する光景も見られた。

 この写真展で展示された資料については <展示目録> を参照下さい。
 展示に当たっては 櫛形炭鉱の勤務経験がある 藤田 薫さん、金子 彪さんのご指導 および "フォーラムあい"小柳 信子さん のご教示をいただいた。
( 情報提供:郷土史を学ぶ会 高橋 功昌  文責:吉田 稔 )
参考資料 :日立市郷土博物館 市民と博物館 第93号 ( 2009年12月28日 )
        樋口正雄・島崎和夫 「資料紹介 櫛形炭鉱の坑内をおさめた写真」
        「聞きがたり 櫛形炭鉱の坑内を撮影して 久慈町 小林 弘さん」
        鯉渕節子「写真展『ズリ山の記憶』開催にいたるまで」
     :高萩炭鉱50年のあゆみ編集委員会編 「高萩炭鉱50年のあゆみ」 ( 1990年刊 )

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