111.3 日立が生んだ漢詩人―大窪詩仏(おおくぼしぶつ)

 2007年 (平成19年) 6月 17日 日立市郷土博物館において 郷土ひたち文化研究会 の講演会が開催され 60名余が出席した。 講師は 大森林造さん (郷土ひたち文化研究会監事)、 演題は「日立が生んだ漢詩人―大窪詩仏」。

大森林造さん
大森林造さん

大窪詩仏は江戸の文化・文政期に天下に名声を轟かせた天性の詩人で、その書画は全国に溢れている。

日立が生んだ大流行詩人
 大窪詩仏は 佐竹藩大窪城主の後裔 徳川の世になって帰農し、郷医となった一族の子孫。
父は池田村 (大子町 字池田)に婿となり、1767年(明和4年)そこで詩仏は生まれた。 父は離婚して江戸に出、詩仏はしばらく大窪村 (佐竹の秋田移封後 大久保村、現在の日立市 大久保町)に住む。
遅くとも20歳前に江戸に出て医術を学ぶが、24歳の時父に先立たれ、医を捨てて詩に志す。市河寛斎の 江湖詩社に加わり、かつ山本北山の奚疑塾に学ぶ。
26歳 柏木如亭と二痩詩社。翌年第1詩集『卜居集』刊。
33歳 『詩聖堂詩話』。詩仏の号初出。40歳でお玉が池に詩聖堂。
44歳 『詩聖堂詩集初編』。「文雅の家、天民の詩竹有らざるは無し」
以後、詩酒と揮毫、旅に明け暮れ、63歳で詩聖堂焼失までが大流行詩人として最も華やかだった。
晩年の10年間は秋田藩に仕官。 71歳で没。

○江戸時代に で飯が食えた唯一の文人
 文化・文政年間 人々は詩書を愛好した。詩仏は揮毫と酒と交友に明け暮れる。詩を愛する人ならば公家、大名、武士、庶民 を問わず。地位・身分・貧富の埒外に天真爛漫。詩は清新派。

○大窪詩仏の竹画に添えられた揮毫詩の例

森森数竿竹
凛凛清逼人
三日不相見
我面欲生塵

(詩聖堂詩集初編)
一叢緑参差
堪束以為箒
不啻掃塵埃
足掃胸中垢

(詩聖堂詩集初編)
青士士人友
墨君君子師
得此師友助
何俗不可医

(詩聖堂詩集二編)
君亦雖沈酔
一年纔一回
不似老詩客
日傾三百杯

(詩聖堂詩集二編)

○参考資料 : 大森林造著 「大窪詩仏ノート」 1998年 梓書房 発行

 ( 文責 吉田 稔 )


講演会 郷土が生んだ漢詩人 大窪詩仏の詩をあじわう
と き (1) 2008年 1月16日(水) 10:00〜11:30
   (2) 2008年 2月22日(金) 10:00〜11:30
   (3) 2008年 5月 2日(金) 10:00〜11:30
講 師 大森林造さん  ところ 日立市郷土博物館

江戸の大流行詩人  大 窪 詩 佛 展
江戸民間書画美術館 渥美コレクション
会 期 2008年 3月20日(木) 〜 5月 6日(火)
主 催/会 場 日立市郷土博物館
協 賛  江戸民間書画美術館
詩佛展

講演会 江戸の大流行詩人 大窪詩佛の魅力
と き 2008年 4月19日(土) 13:30〜15:00
ところ 日立市郷土博物館
講 師 渥美國泰さん (俳優・江戸民間書画美術館主宰)

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