日立みなみ(坂下)略年表 参考文献 NPG(成沢パソコングループ)
 
西暦(年号) 移り変わり
縄文時代

海岸段丘上の文化(兵馬山、原の内、西大塚各遺跡)
久慈川に沖積低地が形成(南高野貝塚、上の台遺跡)
弥生、古墳時代 西大塚1号、西の妻、上の台各古墳群、荒屋遺跡
717〜723(養老年間) 「常陸風土記」が編纂される
700〜750 この頃石名坂から南高野に横穴墓群が造成される
719(養老3年)

助川駅家が設置され、官道は太田の里(幡)・石名坂・南高野・助川へと続いた
851(仁寿元年) 西金砂神社磯出の神事が初めて挙行され石名坂に休憩
1187(文治3年) 頼朝が鹿島神宮御膳料14石の割当てを小沢郷に命ずる
1562(永禄5年) 相馬盛胤軍が常陸に侵入し、佐竹配下板上36騎の奮戦
1596〜(慶長年間) 備前検地。赤埴村と十八道村が合村し石名坂村となる
1606(慶長11年) 岩城相馬街道を整備、一里塚・松並木・宿駅・問屋場
1624〜(寛永年間) 亀下村から留・児島が分村する
1641(寛永18年) 寛永検地。間竿を6尺3寸分から6尺とする
1633(寛文3年) 徳川光圀が領内の寺社整備に先立ち開基帳をつくる
1690(元禄3年) 光圏が藩主を辞す。大内邸で越年、以後屡々宿泊する
1696(元禄9年) 光圏が石名坂の北野神社に立山の内9反余を寄進
1786(天明6年) 7月久慈川大洪水(留・児島・下土木内・大橋・茂宮)
1842(天保13年)

斉昭の天保改革で寺院整理、自葬祭施策を強制実施。
釈迦堂村は神田村と改称。
1843(天保14年) 大内正敏(玉江)「大日本史」編纂に関係する
1844〜(弘化年間) 街道宿駅の助郷制が定められる
1864(元治元年) 天狗・諸生の乱がおこり、石名坂等で合戦となる
1871(明治4年) 廃藩置県(水戸県の管轄となる、戸籍法公布)
1872(明治5年) 学制発布(以後各村に小学校創立)
1889(明治22年)

坂本尋常小学校を塙久次郎宅の旧酒蔵に7月14日開校
町村制施行。(坂本村、東小沢村)
1890(明治23年) 8月久慈川・里川大浜水(死者約500人)
1897(明治30年) 水戸−平間鉄道開通(日本鉄道磐城線のち常磐線)
1901(明治34年) 久慈浜・割山・坂本・太田間に県道開通(のち国道293号)
1909(明治42年) 大みか・坂本・太田間に一日6本の乗合馬車開通
1913(大正2年) 日立電気鰍ェ創立して電灯の時代に入る
1915(大正4年) 大煙突(日立鉱山)が完成して当地区の煙害が解消する
1922(大正11年) 久慈・坂本・太田間に久慈交通の乗合自動車が運行開通
1929(昭和4年) 7月常北電気鰍フ電車が久慈浜・太田間に開通
1930(昭和5年) 国道15号線(現、6号)にコンクリート製榊橋完成
1937(昭和12年) 日中戦争始まる
1939(昭和14年) 榊橋下流左岸の久慈川築堤工事が始まる
1941(昭和16年) 太平洋戦争始まる
1945(昭和20年) 7月日立が艦砲射撃を受け石名坂周辺に着弾、8月終戦
1947(昭和22年) 9月キヤスリン台風。教育改革、新制中学校設置。
1955(昭和30年) 日立市に合併(人口坂本2,683、東小沢2,001)
1957(昭和32年) 日立港起工(昭和34年に竣工)
1963(昭和38年) 国造245号留区間供用開始(久慈大橋竣工)
1965(昭和40年)

国道6号石名坂・大和田区間付替工事完了開通
貯木場造成工事開始。久慈鉄工団地移転開始。
1966(昭和41年) 南部支所開設。10月坂本小学校が南高野に移転。
1967(昭和42年) 日立港が重要港湾に指定され開港
1971(昭和46年) 久慈川河口付替工事開始(旧河川敷埋立て)
1973(昭和48年) 4月坂下公民館設立(人口坂本8,052、東小沢1,791)
1985(昭和60年) 2月常磐高速自動車道、日立南太田I.C開通
1988(昭和63年) 日立南鉄工団地用地分譲完了。以後分譲、拡張を追加
1993(平成5年)

石名坂・南高野・大橋地区一部公共下水道使用開始、坂下公民館管内、人口12,078(旧坂本8,615、旧東小沢1,756、久慈町5町目1,707)
2004(平成16年) 日立市久慈川日立南交流センター完成。地域活動の場として供用開始。


出典:水と緑のふるさと「ひらけゆく日立みなみ」
(坂下地区市民運動をすすめる会・地域マップ作成委員会)資料より抜粋

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