諏訪太平田から「かみすわ山荘」に向かう途中に北の沢がある。ここは諏訪鉱山の跡地でもあるが、今は廃鉱となり、往時の盛況を偲ぶよすがは、残念ながら見る事は出来ない状態である。しかしそれ以前の昔より、この地に居住している民家(現在十二戸)が今もなお隆々として栄えているのは、頼もしい限りである。
民家が寄り添うように並んでいる通りの前に、小高い丘を切り開いて木造の堂が建てられてある。この中に六基の石仏が安置されてある。これが北の沢地蔵である。
地蔵は六基とも、それぞれ模様の入った赤い前掛けを着けて、道路に向って横に並んでいる。小屋の中の地蔵の後には、赤い幕が張られ、「奉納」 の墨書が見られる。この地蔵は、文政三年(一八二〇)に建立されたもので、山間のために病死や、間引きが多くあり、この霊をなぐさめるためのものであったといわれている。
北の沢地蔵の右側の一段低くなっている処に、馬頭観世音の石仏がある。木々の繁みの下に静かに鎭座し、しかも良く手入れが行き届いている。安政五年(一八五入)八月二十九日と彫られている文字が認められ、住民のたゆまざる信仰心がうかがわれる。
ふるさと諏訪 ふるさと諏訪編集委員 諏訪神社社務所(昭和60年5月1日発行)より抜粋
|