日立の八景

(田中 昭)

1.八景とは


 広辞苑によれば「八景」とは一地方の8つの景勝をいう。

 その起源は11世紀北宋時代に中国湖南省の洞庭湖に面した瀟湘(しょうそう)地方の景勝から選ばれた「瀟湘八景」にある。その主題はそれぞれの季節の水に因んだ景色  8題で、湿潤な江南の風土を水墨の微妙な働きによって描き分ける画題として、古来多くの画家達によって取り上げられてきた。選者の宋迪(そうてき)をはじめ、南宋の  牧谿(もっけい)・玉澗(ぎょっかん)、また日本では狩野元信・雪村・横山大観などの作品が名高い。

 ここでは日立八景について紹介するが、八景に関する更に詳細な説明を田中 昭の作成した資料により別資料として紹介する。ここよりリンクする。

2.日立の八景
 日立市には北は川尻から南は久慈までわかっているだけでも 10ヶ所の八景がある。茨城大学名誉教授の瀬谷義彦先生の著書「ひたち史余話」には その内の8ヶ所が紹介されている。またその半数は各学区で編集された地域マップに載せられている。 笹谷教授の分類にしたがってこれらを一覧表にしたのが第1表である。

第1表 日立市の八景

八景名 地 域 成立時期 分類 地形立地 瀬谷教授 マップ 備 考
川尻八景 川尻海岸 明治期 折衷 海岸   豊浦誌
田尻八景 旧田尻村 明治期 折衷 村全域 飛田伝蔵氏
滑川八景 旧滑川村

江戸末期

典型 村全域 太田陸舟選
東河内八景 旧呉坪村 明治期 典型 谷あい     斎藤松風選
会瀬八景 会瀬海岸 江戸期 折衷 海岸   会瀬旧述
諏訪八景 鮎川沿い 明治期 名勝 谷あい   大窪詩仙?歌
大久保八景 旧大久保村 江戸期 折衷 村全域   山本繁氏
河原子八景 旧河原子村

江戸末期

典型 村全域 梅原初太郎氏
久慈八景 旧久慈村 明治期 典型 村全域 大甕から久浜
坂下八景 石名坂南部 江戸期 名勝 地域全体   水戸光圀選

(注)備考には、八景について書かれた文献・選者、ないしは瀬谷房之助氏の「地名を訪ねて」に記されている紹介者を載せた。

瀬谷教授によると、上記の各八景の内で一番古いのは会瀬八景で、19世紀に教授の先祖にあたる神官瀬谷義文が書いた「会瀬旧述」に紹介されているという。この他には滑川大久保・河原子の各八景が江戸時代に選ばれ、他のものは明治になってから明治22年の町村合併の前にそれぞれの村で選ばれたそうである。会瀬八景を除くとこれらはいずれも水戸八景に倣って選ばれたと考えられる。しかし選者ははっきりしないものが多い。備考には、瀬谷房之助氏が日立市の各地域の地名の由来を調査した「地名を訪ねて」に書かれている八景の紹介者を記しておいた。なお坂下八景は元禄6年(1693)隠居後の徳川光圀が側近と共に田中内の大内家を訪ねて酒宴を催した時に選びそれぞれが漢詩を詠んだという久慈九景から採られたといわれる。ほかにも滑川八景諏訪八景のようにそれぞれの場所に関して歌が残されているものもある。

日立市の八景10ヶ所それぞれの名称を第2表に示しておく。

 

第2表 日立市の各八景の名称

川尻八景 田尻八景 滑川八景 東河内八景 会瀬八景
蚕宮の避暑 田沢の夜雨 烏沢の夜雨 石ヶ峰の夜雨 伊勢崎の松
松崎の仙境 度志山の晩鐘 海雲山の晩鐘 玉簾寺の晩鐘 七夕の会瀬
不動の御崎 前田の落雁 小幡の落雁 中島の落雁 鵜島の釣漁
筈磯の漁火 大田尻の晴嵐 館跡の晴嵐 高橋の晴嵐 端崎の砂山
水門の帰帆 栄蔵小屋の帰帆 清水の帰帆 里川の帰帆 港内の泊船
川尻の二見 鮫穴の奇岩 北釜の夕照 井戸久保の夕照 女夫の瀑布
御番山の月 裸島の秋月 田島の秋月 高山の秋月 御山の涼風
小貝の潮干 種殿神社の暮雪 六所の暮雪 京田の暮雪 坊崎の常雫


諏訪八景 大久保八景 河原子八景 久慈八景 坂下八景
泉水 勝嶺の青松 孫沢の夜雨 釜坂の夜雨 泉川の叢祠
梅林 故城の乱蛍 那知の晩鐘 寺山の晩鐘 瀬谷山の桜
曙山 南径の樵歌 田久保の落雁 三反田の落雁 児島の群雁
四ヶ峰 前村の炊飯 梶沢の晴嵐 鉄砲場の晴嵐 大橋の漁舟
達磨湯 湊浦の帰帆 津宮の帰帆 千福寺の帰帆 久慈の遠帆
水穴 奥路の旅人 日和の夕照 離山の夕照 大森の紅葉
普巌岩 東海の新月 新地の秋月 大石倉の秋月 釈迦堂の月
屏風嶽 孫田の耕雲 東福寺の暮雪 天王山の暮雪 十八道の雪

 


これらの八景のうち、場所が特定できるものは少ない。例えば田尻八景でいえば種殿神社や度志山のように寺社の名が付いたものがそれと知られるのみである。また鮫穴のように現在は崩落によって当時の景色がなくなってしまい、昔のよすがを偲ぶすべのないものもある。

 八景のそれぞれの紹介したページにここからリンクします。

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