水戸・日立の八景

 H11.5.13  日立市相田町  田中 昭
1.八景とは

広辞苑によれば「八景」とは一地方の8つの景勝をいう。

 その起源は11世紀北宋時代に中国湖南省の洞庭湖に面した瀟湘(しょうそう)地方の景勝から選ばれた「瀟湘八景」にある。その主題はそれぞれの季節の水に因んだ景色  8題で、湿潤な江南の風土を水墨の微妙な働きによって描き分ける画題として、古来多くの画家達によって取り上げられてきた。選者の宋迪(そうてき)をはじめ、南宋の  牧谿(もっけい)・玉澗(ぎょっかん)、また日本では狩野元信・雪村・横山大観などの作品が名高い。

 室町時代の明応9年(1500)に近衛政家が琵琶湖に遊んだ時、瀟湘八景に倣って琵琶湖の南・西岸から選んだのが「近江八景」であり、江戸時代元禄期(1700年前後)に明の僧心越禅師が神奈川県金沢近辺の景勝を選んだのが「金沢八景」である。これらは狩野探幽・北斎・広重などによって描かれ、全国的に有名になった。これに倣って江戸時代後期から明治期にかけて日本各地で八景が選定された。茨城県では水戸八景がもっとも有名である。また日立市には10ヶ所もの八景がある。

 瀟湘八景・近江八景・金沢八景および水戸八景を比較して表にしたものが第1表である。

第1表 有名な4つの八景の比較

名称

瀟湘八景

近江八景

金沢八景

水戸八景

場所

洞庭湖

琵琶湖

横浜市

水戸周辺

選者

宋迪

近衛政家

心越禅師

徳川斉昭

時代

北宋時代

室町時代

明応9年

江戸時代

元禄期

江戸時代

天保4年

西暦

(11世紀)

1500年

1700年頃

1833年

風景

       

夜雨

瀟湘

唐崎

小泉

青柳

晩鐘

煙寺

三井

称名寺

山寺

落雁

平沙

堅田

平潟

太田

晴嵐

山市

粟津

洲崎

村松

帰帆

遠浦

矢橋

乙艫

水門

夕照

漁村

瀬田

野島

岩船

秋月

洞庭

石山

瀬戸

広浦

暮雪

江天

比良

内川

仙湖



 八景の研究者である笹谷康之立命館大学教授によれば、これらの八景はいずれも同じ主題を使用している。すなわち、水辺の夜の雨(夜雨)・山寺の晩鐘(晩鐘)・田に降り立った雁の群れ(落雁)・朝もやに煙る松林(晴嵐)・港に帰る漁船(帰帆)・夕日に照らされた遠くの山(夕照)・水面に映る秋の月(秋月)そして夕暮れの雪景色(暮雪)である。これらは典型型八景と呼ばれる。しかし最近ではこの主題にこだわらず地域の名勝を採り入れたものも多く、これらは名勝型八景と呼ばれる。また両者を折衷したものもある。以下水戸八景と日立の八景を例にその内容を説明する。

 水戸藩9代藩主徳川斉昭は、天保4年(1833)の最初の就藩の時、領内各地を視察して藩政改革の骨子を立案したが、その際「水戸八景」を選んでいる。水戸城を出発して常陸太田に向かい、そこから東進して海岸に達して南下し、湊・大洗・涸沼を経て水戸に帰る八景巡りは約22里(約88キロ)あり、強行軍をすれば藩の子弟が1日かけて歩ける距離である。斉昭は彼等に八景めぐりを勧めた。今風にいえば「天保のウォークラリー」である。水戸八景は光圀の母の菩提寺である常陸太田の久昌寺の住職日華の意見を入れて、瀟湘八景の各主題に沿って選ばれたものであるが、いずれも水戸藩にゆかりの深い史跡あるいは海川の要衝の場所であり、この八景めぐりは単に藩士の心身の鍛錬のためだけではなく、次第に騒がしくなってきた幕末の水戸藩内外の政情を背景に、有事に備えて藩内の重要地を視察させておくという深謀遠慮があったといわれている。


2.水戸八景

 水戸八景の場所にはいずれも「水戸八部」という雄渾な隷書体で書かれた斉昭の直筆を彫った石碑が建っていて、柵を設け案内表示や説明板を置くなど現在でも良く保存されている。また八景には斉昭作の漢詩と和歌が残されている。

(1).青柳夜雨

場所:水戸市青柳町。新万代橋の袂の堤防の下。大きな柳の下に石碑がある。

   ここにはかつて青柳の渡しがあり、水戸から常陸太田方面に行く棚倉街道の出発点     

   として賑わっていた。

漢詩:雨夜更遊青柳頭(雨夜更けて遊ぶ青柳のほとり)

和歌:雨の夜に舟を浮かべて青柳の 木の間を渡る風の涼しさ

(2).山寺の晩鐘

場所:常陸太田市稲木町西山研修所の裏。広場の四阿の側に石碑が建っている。

   ここにはかつて久昌寺の檀林があり、たくさんの学僧が学んでいた。

漢詩:山寺晩鐘響幽(山寺の晩鐘幽がくに響く)

和歌:つくづくと聞くにつけても山寺の 霜夜の鐘の音ぞ淋しき

(3).太田の落雁

場所:常陸太田市栄町滝坂東崖の上。水戸家の墓所瑞龍山を望む見晴らし台の中に石碑がある。当時は崖の下まで田んぼがあった。

漢詩:太田落雁渡芳州(太田の落雁芳州を渡る)

和歌:さして行く越路の雁の越えかねて 太田の面にしばしやすらう

(4).村松の晴嵐

場所:那珂郡東海村村松虚空蔵尊裏の松林の中。本堂の裏山に石碑が建っている。

   当時は松林の間から海が見えた。

漢詩:遥望村松晴嵐後(遥かに望む村松晴嵐の後ろ)

和歌:真砂地に雪の波かと見るまでに 塩霧晴れて吹く嵐かな

(5).水門の帰帆

場所:ひたちなか市和田町総合支庁舎裏。崖の上に港を向いて石碑が建っている。

   かつて水戸藩の外港として賑わった湊の船着場が見えた。

漢詩:水門帰帆映高楼(になとの帰帆高楼に映ず)

和歌:雲のさかい知られぬ沖に真帆あげて みなとの方によつる釣り舟

(6).岩船の夕照

場所:東茨城郡大洗町の願入寺裏の那珂川畔。涸沼川との合流点の上に石碑がある。ここから天気の良い日には筑波山が見えた。

漢詩:霞光爛漫巌船夕(霞光らんまん巌船の夕べ)

和歌:筑波山あなたは暮れて岩船に 日影ぞ残る岸のもみじ葉

(7).広浦の秋月

場所:東茨城郡茨城町下石崎の広浦公園内。湖畔に石碑が建っている。涸沼は江戸期には江戸と水戸を結ぶ水運の要衝であった。

漢詩:月色玲瓏広浦秋(月色れいろう広浦の秋)

和歌:大空の影を映して広浦の 波間をわたる月ぞさやけき

(8).仙湖の暮雪

場所:水戸市常磐町偕楽園南崖。好文亭の下の常磐線が見える位置に石碑が建っている。

漢詩:雪時嘗賞仙湖景(雪時嘗て賞す仙湖の景)

和歌:千重の波よりてはつづく山々を こすかとぞ見る雪の夕暮れ


水戸八景の詳細な位置は但野正弘氏の著書「水戸八景碑」や、私のホームページ「水戸・日立の八景」中に出ており、車を使えば半日で廻ることができる。




日立の八景


日立市には北は川尻から南は久慈までわかっているだけでも10ヶ所の八景がある。茨城大学名誉教授の瀬谷義彦先生の著書「ひたち史余話」にはその内の8ヶ所が紹介されている。またその半数は各学区で編集された地域マップに載せられている。笹谷教授の分類にしたがってこれらを一覧表にしたのが第2表である。

第2表 日立市の八景

八景名

地域

成立時期

分類

地形立地

瀬谷教授

マップ

備考

川尻八景

川尻海岸

明治期

折衷

海岸

 

豊浦誌

田尻八景

旧田尻村

明治期

折衷

村全域

飛田伝蔵氏

滑川八景

旧滑川村

江戸末期

典型

村全域

太田陸舟選

東河内八景

旧呉坪村

明治期

典型

谷あい

   

斎藤松風選

会瀬八景

会瀬海岸

江戸期

折衷

海岸

 

会瀬旧述

諏訪八景

鮎川沿い

明治期

名勝

谷あい

 

大窪詩仙?歌

大久保八景

旧大久保村

江戸期

折衷

村全域

 

山本繁氏

河原子八景

旧河原子村

江戸末期

典型

村全域

梅原初太郎氏

久慈八景

旧久慈村

明治期

典型

村全域

大甕から久慈浜

坂下八景

石名坂南部

江戸期

名勝

地域全体

 

水戸光圀選

(注)備考には、八景について書かれた文献・選者、ないしは瀬谷房之助氏の「地名を訪ねて」に記されている紹介者を載せた。

瀬谷教授によると、上記の各八景の内で一番古いのは会瀬八景で、19世紀に教授の先祖にあたる神官瀬谷義文が書いた「会瀬旧述」に紹介されているという。この他には滑川大久保・河原子の各八景が江戸時代に選ばれ、他のものは明治になってから明治22年の町村合併の前にそれぞれの村で選ばれたそうである。会瀬八景を除くとこれらはいずれも水戸八景に倣って選ばれたと考えられる。しかし選者ははっきりしないものが多い。備考には、瀬谷房之助氏が日立市の各地域の地名の由来を調査した「地名を訪ねて」に書かれている八景の紹介者を記しておいた。なお坂下八景は元禄6年(1693)隠居後の徳川光圀が側近と共に田中内の大内家を訪ねて酒宴を催した時に選びそれぞれが漢詩を詠んだという久慈九景から採られたといわれる。ほかにも滑川八景諏訪八景のようにそれぞれの場所に関して歌が残されているものもある。

日立市の八景10ヶ所それぞれの名称を第3表に示しておく。

第3表 日立市の各八景の名称

 

川尻八景

田尻八景

滑川八景

東河内八景

会瀬八景

蚕宮の避暑

田沢の夜雨

烏沢の夜雨

石ヶ峰の夜雨

伊勢崎の松

松崎の仙境

度志山の晩鐘

海雲山の晩鐘

玉簾寺の晩鐘

七夕の会瀬

不動の御崎

前田の落雁

小幡の落雁

中島の落雁

鵜島の釣漁

筈磯の漁火

大田尻の晴嵐

館跡の晴嵐

高橋の晴嵐

端崎の砂山

水門の帰帆

栄蔵小屋の帰帆

清水の帰帆

里川の帰帆

港内の泊船

川尻の二見

鮫穴の奇岩

北釜の夕照

井戸久保の夕照

女夫の瀑布

御番山の月

裸島の秋月

田島の秋月

高山の秋月

御山の涼風

小貝の潮干

種殿神社の暮雪

六所の暮雪

京田の暮雪

坊崎の常雫

      

諏訪八景

大久保八景

河原子八景

久慈八景

坂下八景

泉水

勝嶺の青松

孫沢の夜雨

釜坂の夜雨

泉川の叢祠

梅林

故城の乱蛍

那知の晩鐘

寺山の晩鐘

瀬谷山の桜

曙山

南径の樵歌

田久保の落雁

三反田の落雁

児島の群雁

四ヶ峰

前村の炊飯

梶沢の晴嵐

鉄砲場の晴嵐

大橋の漁舟

達磨湯

湊浦の帰帆

津宮の帰帆

千福寺の帰帆

久慈の遠帆

水穴

奥路の旅人

日和の夕照

離山の夕照

大森の紅葉

普巌岩

東海の新月

新地の秋月

大石倉の秋月

釈迦堂の月

屏風嶽

孫田の耕雲

東福寺の暮雪

天王山の暮雪

十八道の雪


これらの八景のうち、場所が特定できるものは少ない。例えば田尻八景でいえば種殿神社や度志山のように寺社の名が付いたものがそれと知られるのみである。また鮫穴のように現在は崩落によって当時の景色がなくなってしまい、昔のよすがを偲ぶすべのないものもある。



茨城県内の八景

前述のように江戸時代以降、日本全国各地で八景が選ばれており、その正確な数は分かっていない。笹谷教授の研究によれば、常北だけでも日立市の10ヶ所を入れて計37ヶ所の八景が確認されている。例えば湊八景(ひたちなか市)、千波八景(水戸市)、磯原八景(北茨城市)、大子八景(大子町)などである。また水戸市では斉昭の水戸八景は市内のものがふたつしかないというので、平成8年に新たに水戸市内の名所から市民の投票により「新水戸八景」を選んでいる。常北の主な八景の成立時期、地形立地と名称を次の第4表に示す。

第4表 常北の主な八景
 

湊八景

千波八景

磯原八景

大子八景

新水戸八景

明治期

江戸期

明治期

明治期

平成8年

海岸

湖沼

海岸

谷間

市域全体

八幡の夜雨

柳堤の夜雨

双岩島の岸波

瀬戸田の早乙女

弘道館と水戸城の濠

館山の晩鐘

神崎寺の晩鐘

太鼓濤の潮響

永源寺の晩鐘

保和苑と周辺史跡

新堤の落雁

蒔田の落雁

嘴沙の睡駆

田女志山の一本松

偕楽園と千波湖

峰山の晴嵐

藤柄の晴嵐

天妃山の碧霞

御殿地の晴嵐

水戸芸術館

和田の帰帆

下谷の帰帆

〇〇の夜船

久慈川の帰帆

備前堀

関戸の夕照

梅戸の夕照

大北川の漁火

落合の夕照

大塚池公園

日和山の秋月

七面山の秋月

多賀海の観月

男体山の秋月

大串貝塚ふれあい公園

富士坂の暮雪

緑岡の暮雪

神磯の砕雪

恵比津良の暮雪

森林公園と楮川ダム

(注). 磯原八景の〇〇は場所が不明のものである

 なお光圀公は常北十景を選んでいる。これは、速玉湧泉・袋田瀑布・檜沢宿靄・諏訪古窟会瀬漁舟・高鈴眺望・天妃山燎火・秋山紅葉・牧野駿馬・久慈荒墟である。日立市内のものが4ヶ所選ばれている事がわかる。

常北以外の茨城県西・県南にも土浦八景をはじめ八景がいくつも選ばれている。土浦短大の柳生教授はふるさと文庫の「茨城八景」の中で24ヶ所の八景を紹介している。第5表にそのうちのいくつかを示す。

第5表 茨城県西・県南の主な八景

土浦八景

霞ヶ浦八景

鹿島八景

岩間八景

下館八景

常陸八景

明治期

江戸期

明治期

江戸期

江戸期

大正期

湖沼

湖沼

神社周辺

丘陵

丘陵

筑波・霞浦

鷲宮夜雨

田村夜雨

涼泉池夜雨

穏沢夜雨

大橋夜雨

藍見崎夜雨

神龍寺晩鐘

照井晩鐘

根本寺晩鐘

高寺晩鐘

定林寺晩鐘

潮来晩鐘

下田落雁

田面落雁

寒田落雁

平落雁

仙在布晒

浮島落雁

桜橋晴嵐

高津晴嵐

鹿島山晴嵐

長峰晴嵐

八丁晴嵐

古渡晴嵐

川口帰帆

霞浦帰帆

浪逆浦帰帆

遠望霞浦

勤行川漁火

土浦帰帆

銭亀夕照

銭亀夕照

宮下橋夕照

横関夕照

岡芹夕照

筑波山夕照

霞浦秋月

小松秋月

高天浦秋月

愛宕秋月

八幡秋月

鹿島秋月

北門暮雪

筑波暮雪

鶴来岡暮雪

難台暮雪

筑波暮雪

大杉山暮雪


結び

これまで、水戸、日立そして茨城県内の八景について紹介してきたが、日本には他にもたくさんの八景がある。その中でも南都八景、嵯峨八景、鎌倉八景、東都八景などが有名である。これらは江戸期から明治期に選ばれたものであるが、旭川八景のように最近になって投票によって選ばれたものも多い。インターネットで探してみても20以上の八景を読む事ができる。

なお八景より多いものに富嶽三十六景や東都百景、茨城百景などがある。これは対象とした地域が広く景勝の数が多いためで、浮世絵の画題や観光促進などの目的で選ばれたものである。富嶽三十六景は天保2年(1831)から葛飾北斎によって描かれ刊行されたものであり、また茨城百景は昭和25年いはらき新聞社の主催で投票によって選ばれている。日立市ではこれに日立の大煙突・助川城址と海山巡り・高鈴山ハイキングコース・河原子海水浴場と水木浜・川尻海岸・久慈浜海岸の6ヶ所が入っている。

八景をはじめこれらの景観はそれぞれの土地の名勝と史跡とが組み合わされたものが多く、それらを保存し正しく伝える事は各地方の歴史や伝承の継承と景観の保全につながると考えられる。したがって今後もお互い協力していろいろなメディアを通して八景の紹介をしていきたい。



参考文献


(1).笹谷康之 「地形の意味に関する研究」(平成2年、立命館大学)

(2).堀口友一 「水戸八景」(平成3年、崙書房)

(3).但野正弘 「水戸八景碑」(平成9年、錦正社)

(4).瀬谷義彦 「ひたち史余話」(昭和61年、日立市民文化事業団)

(5).瀬谷房之助 「地名を訪ねて」全4冊(昭和56年-平成3年、筑波書林)

(6).金成杏坪 「豊浦誌」(明治43年、水戸石文堂)

(7).宮田実 「大甕から久慈浜あたり」(昭和11年、暁印書館)

(8).滑川公民館 「滑川ウオッチング 景勝・史跡めぐり」(平成4年)

(9).柳生四郎 「茨城の八景」(平成4年、筑波書林)

(10).土浦市立博物館 「風景を描く」(平成10年)

(11).室伏勇 「茨城百景巡歴」(昭和54年、暁印書館)


終り


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