西大塚古墳群
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西大塚古墳群1号墳の竪穴式石室に供えられていた品々(副葬品)は、この古墳が6世紀の前半につくられたもので、埋葬された人物(被葬者)が、生前は飾大刀を身につけ、金色に輝く金具(馬具)で飾った馬に乗っていたことを教えてくれます。 それは地域をおさめる首長の姿ですが、小さな円墳といわれるこの古墳の規模などからみて、その力の及ぶ範囲はそれほど広いものであったとは考えられません。おそらくは、久慈川の下流域をおさめる、中小首長のひとりだったのでしょう。 飾大刀、そして金メッキされたものをふくむ馬具は、当時としては最先端の優秀な技術でつくられており、久慈川流域の中小の首長がたやすく手にいれられるものではありません。畿内地方でつくられた可能性の高いこれらの品々は、おそらく、ヤマト政権がこの首長の実力を認めて与えたものと思われます。
ヤマト政権は、それまで、「地域の大首長と手を組み、その地域は大首長におさめさせる」あるいは「ヤマト政権側の豪族をつかわして地方をおさめさせる」といった方法で、地方を支配したと考えられます。それが、この西
大塚古墳群1号墳がつくられた6世紀前半のころまでには、地域の中小の首長たちを直接支配できるまでに力が強くなっていたと考えられるのです。 |
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1号墳 3号墳 |
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