赤羽横穴墓群
日立市久慈町五丁目


 公園の付近には、大昔から人々が生活していた痕跡がいたる所に見ることができます。
湿原の北側の丘陵斜面には、今からおよそ1,400年前のお墓があります。4つの丘陵が南方に向けて張り出した斜面の、最も線路よりの台地斜面(D支丘)には、26基もの横穴墓(おうけつぼ)が見つかりました。平面形が羽子板(はごいた)状・砲弾(ほうだん)状等の形の違うものがあります。横穴墓の中からは、当時身に付けていた武器や装飾品などが発見されました。

  横穴墓は、つくり方が簡単であること、副葬品が貧弱であることなどの理由から、高塚式古墳の被葬者よりは身分が低い人びとの墓だ、と考えられてきました。しかし、赤羽横穴墓群B支丘1号墓(日立市)からは、豪族の墓に供えられるものと同じような副葬品が見つかっています。横穴墓が、けっして身分の低い人の墓ではないことを証明するものでしょう。
 横穴墓は、つくられる地域があきらかにかたよっています。県内だけをみても、久慈川流域以北に多くみられるほかは、那珂川流域などにわずかにあるだけですから、この墓制が、集団移住した人びとによってもたらされたことも考えなくてはならないでしょう。

 これらの横穴墓に埋葬された人々は、西側の台地上、または北側の台地上に各々の家を構えていたようで、団地造成時に多くの家の跡が調査されました。その数ば100件を超えています。縄文、弥生、古墳、奈良・平安時代の集落として構成されていたようです。

 当時の人々がこの周辺までの「入り江」を利用し、生活・交易に励んでいたことが想像できます。


B支丘1号墓遠望

B支丘1号横穴墓

B支丘1号墓出土品

B支丘1号墓出土品

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