日立の徳川家史跡16

水木御番所


 初代藩主頼房は島原の乱が鎮圧された寛永15年(1638)には幕府の命により水木村に 藩士を詰めさせて異国船の監視を始めたが、正保2年(1645)には磯原・那珂湊と共に 水木御番所を置いて2人ずつの舟番を派遣している。
江戸時代も末になると異国船がたびたび接近したので監視が強化され、文化5年 (1808)には7代藩主治紀が水木村の舟番所を巡視している。
その後幕末の開国までここは河原子・久慈・大沼などと共に日立南部の海防に あたった。
代々番所の責任者を勤めた河村氏邸には、記念碑が建てられている。

        参考文献:「海と泉と森のみずき」


     御番所跡碑            水木番所より大沼側を望む 

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