日立の徳川家史跡13

照山修理碑


 寛永18年(1641)に実施された水戸藩検地は農民にとって大変きびしいものであったので、金沢村 の庄屋照山修理が強訴に及んだが処刑された。
しかし寛文3年(1663)光圀が照山家を訪れ、四脚門を許す事により名誉を回復させたと伝えられる。
金沢にある菩提寺の長福寺の境内には、照山修理の墓碑と共に明治28年(1895)に建てられた 屋根付きの記念碑がある。
近くには覚念寺がある。ここは親鸞の弟子高重が建保6年(1218)那珂に開基したが、 慶長5年(1600)この地に移されたといわれている。光圀は元禄6年(1693)参詣している。 幕末の天狗諸生の乱の時に戦火にあって焼失したが、明治16年(1883)再建された。 ここには聖徳太子の木像が伝来しており、県から文化財に指定されている。

       参考文献:「金沢小学区ふれあいマップ」、「ハナトピアマップ」


照山修理碑                     覚念寺本堂

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