第十話 戦後の小学生
恐ろしかった戦争も昭和二十年(一九四五年)八月に終わりました。衣食住すべてが不足する、みじめな生活が始まりました。かぼちや、さつまいもが米の代わりになったり、おかゆ、ぞうすいの毎日ですから子どもたぢばやせていました。 弁当をもってくることができず、お昼になると校庭に出る子もいました。新間紙につつんだ、さつまいもの弁当を食べる子もいました。つぎはぎの服を着、ゲタやぞうりで登校し、雨の日は破れたからかさをさし、帰りにははだしで帰ることもありました。勉強の道具も不十分でした。ワラ紙でノートをつくり、短くなったエンピツをしの竹にさしこんで使ったりしました。 でも、子どもは元気に外で遊ぴました。空き地や道路、砂浜で手づくリ道具での野球、カンけり、石けり、ビー玉、ベーゴマ、メンコなどの遊びや、めじろとり、夏になれば一日中、うみで波乗りや磯遊びと、よく遊ぴました。アメリカの占領下ですからアメリカ兵があちこちにいてジープで走りまわっていました。鮎川駅の近くに住んでいたアメリカ兵のために小型の飛行機が発着しました。今の国道二四五号線が飛行場になったのです。舗装された道路でまわリに家もなく電柱もなかったので利用したのでしよう。 |
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