二、昔のおおせのょうす
第一話 大つなみがおそう 平安時代のはじめごろ、茨城県の海岸に面した所は大きな津披におそわれました。七月のある日、早朝から夜にかけて十五回にわたって大きな波が会瀬海岸におしよせてきました。波打ち際から百メートルくらいまで波がきました。常磐線のあたりまで波がきたことになります。 波が引いていくと沖合ニキロメートルまで海底があらわれました。今まで見たことも、聞いたこともない」ことだと、お年奇りもびっくりしました。 昭和三十五年五月、南アメリカのチリ沖地震による津波が日本の太平洋岸をおそいました。 会瀬では港の中の海水がなくなってしまいました。ひあがった海底で魚をとった人もいました。やがて押し寄せた津波は岸壁をこえて道路まできました。この津波で港につながれていた漁船の数隻が陸地に押し上げられたりしました。 常陸国言、鹿嶋、那加、久慈、多珂四郡、今月十一日、自、晨、至、晩、海潮去来凡十五度、満則過常涯一町許、涸則踰常限廿余町、海畔父老剣云、古来所未見聞也 日本後記 延暦十八年 |
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