第二話 相賀のたて(館) 十五世紀末ごろ(戦国時代)から約百年にわたって相賀町内に武士の館(家)が三つありました。「坊の上」「車城」「新城」という呼び名がありました。城といっても武家づくりの「とりで」のような家でした。 「車城」が最初につくられました。海からみてがけの一番南側です。 三つとも太平洋を見おろす、がけの上にあります。まとめて相賀のたて(館)といわれました。 三つの館をまとめていた人物はこのあたりではもっともカがあったようです。 |
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