十王地区の神社・寺院

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東泉寺(Y)
大湖山 東泉寺

 十王町1782-6

 曹洞宗寺院。上野国永源寺(群馬県鬼石町)の末寺となっている。 1505年あるいは1533年の開創とされる。開基は山尾城主 小野崎義昌で 祖父親通の 冥福を祈り建立したという。

吉田神社(Y)
吉田神社

 十王町山部1040

 1693年(元禄6年)に鎮守として祭祀とある。
1975年(宝永2年)の寺社改めの記録に『鎮守吉田大明神、是は先鎮守八幡宮に 御座候處、当九年以前丑の年(1697年)、吉田大明神鎮守被仰付』とある。
もと山部には八幡宮が祭られていたものが 徳川光圀による神社改革の 「八幡潰し」にあって元禄年間に廃され その後に復活したのであろう。

山部稲荷神社(Y)
山部 稲荷神社

 十王町山部 梶内

 祭神は倉稲魂命。1782年(天明2年)の調べで 山伏 宝蔵院が別当をし『右者本渡の宮立 に無之、至極小社に御座候て、御立山六分の場所に御建成され候』と記されている。
 金毘羅神社   十王町山部 

八幡神社(Y)
八幡神社

 十王町山部2

 山部には 八幡太郎義家と竪破山にまつわる伝説が残っている。義家が奥州征伐 の途中 この地を過ぎるとき 紫雲がたなびいて雲の中から五匹の神猿が現れ 五色の旗を義家に授けたとされる。
このため「五旗」の地名が生まれ これが後に「小幡」になったという。

長楽寺跡(Y)
長楽寺跡 薬師堂

 十王町山部 馬乗馬場

 真言宗長楽寺は 法鷲寺の末寺で もとは同寺山門の東側下にあったが 徳川光圀の寺院改革で 1697年(元禄10年) 山部の林蔵院跡へ移され、 その後 徳川斉昭の寺社改革で 天保年間に廃寺となった。
現在の薬師堂は長楽寺跡に建てられたものである。

高原種殿神社(N)
高原 種殿(じゅうどの)神社

 十王町高原

 高原では古来より坪(集落)ごとに鎮守を祭っていた。日向・台・大平・横川に それぞれ十殿神社があり、長久保に愛宕神社、古田・大原・沢平にそれぞれ稲荷神社、藤坂に熊野神社、 黒田に十殿山・稲荷・素鵝の3社があったという。
1971年(明治4年)これらの12社を日向坪の字十殿に合祀して村社とした。日向坪の十殿神社は当時 "承殿神社" といっていたものを、合祀するときに "種殿神社" と改めたともいう。 1913年(大正2年)に現在地に遷宮した。例祭日は旧暦10月10日。

藤坂公民館(Y)
藤坂公民館 (庵寺)

 十王町高原字藤柄町

 1975年(昭和50年)に建替えるまでは 間口4間(7.2m) 奥行3間(4.8m)ほどの茅葺の建物で 三方に擬宝珠付の手摺がついた濡縁があった。
公民館の中に当時の梁が残されている。梁の下の祭壇には左から 勢至菩薩、中尊、地蔵菩薩、 地蔵菩薩半跏、勢至菩薩、観音菩薩 の仏像が安置されている。
 横川集落集会所   十王町高原字坂口
 (大平) 薬師堂   十王町高原字細入

日向地蔵堂(Y)
(日向) 地蔵堂

 十王町高原字前原

 堂内の厨子には 左側に木造地蔵菩薩半跏像、右側に木造如意輪観音菩薩坐像が安置されている。
また観音菩薩と地蔵菩薩のお札の版木、数珠くりに使った数珠が残されている。
例祭日は 旧暦6月24日と11月24日。2月24日に地蔵講が開かれる。
 種殿神社   十王町黒田 

黒前神社拝殿(Y)
黒前(くろさき)神社拝殿 

 十王町黒坂字太刀割

 日立市と高萩市の境にある竪破山(たつわれさん)の山頂に、 黒坂命(くろさかのみこと)を祭神とする黒前神社がある。 黒坂命は「常陸国風土記」茨城郡条に大臣一族として登場する。東茨城郡の 山の佐伯・野の佐伯 を茨で つくった城で滅ぼし、茨城の地名を残したとされている。

詳しくは竪破山を参照。

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