小豆洗不動尊 東成沢町戸崎地区

小豆洗不動尊の名前の由来…鮎川にまつわる不思議な怪談…台地の上の豪族のやかたに親子(姫)三人が幸せに暮らしていたそうな。姫が九歳の時お母さんが病気で亡くなり、しばらくして新しいお母さんがきたと。月日がたつに従いこの母は姫につらく当るようになり、お父さんが仕事で留守の時、家事は姫にさせ自分は遊んでいましたと。冬の寒い日の夕暮れ時、姫はザルにお米を入れ、家の崖下にある川へ毎日お米をとぎに行かされ、姫の手はあかぎれだらけ、氷のように冷たい川の流れでサラサラ・ザラリザラ・サラリとお米を洗ったと。師走の風が小雪を飛ばす夕暮れ時も米とぎです。帰って囲炉裏に暖まろうと思ったとき、母は姫に「明日はお不動さんのご縁日だからお赤飯を作るので、小豆を洗っておいで」とザル一杯に小豆を入れて渡されました。姫は坂道を転ばぬように足元に力を入れながら、ようやく川にたどりつきサラサラ・ザラリ・ザラサラリと洗い続けました。洗い終わった時、身体はすっかり冷え切って足がすくんでふらつく思いでした。しずくがたれる小豆の入ったザルを抱え、坂道の途中で気を失い倒れてしまいました。しばらくして気がつき見ると洗ってきた小豆がまわりに散らばっているのです。さあ大変、このまま帰れば母にきつくしかられると思い、思案の末、死ぬ気で川まで降りてきました。死ねば亡くなったやさしい母に会えると思い、深みのある淵を見つけ、たもとに数個の石を入れてざんぶと身を投げてしまいました。このあとこの近くを通ると、サラサラ・ザラリ・ザラサラリと小豆を洗うような気味の悪い音が聞こえてくると人々のうわさにのぼり、姫の怨念であろうと手を合せて通る人もあったと伝えられております。また、その川べりから戌の刻(夜七時から八時)になると女のすすり泣く声が聞こえたともいわれております。小豆洗の地名もこの怪談からできたようです。

 日立市東成沢町3丁目、大学橋から北東の杉林の中に位置する小豆洗不動尊は室町時代
(1390年)佐竹藩の出城の守護神として建立されました。
その後(1615年)佐竹氏の秋田への国替えで,小豆洗館主も秋田へ移り、不動堂はここに祭られたまま約400年間町内で守護されてきました。 老朽化が進み、昭和49年町内の拠金と労力奉仕および信者の浄財とにより改築、整備され、現在も公的補助を受けず27軒で守護されています。
 1月28日の初不動には数十名の参拝者があり、その他御縁日は毎月28日、秋期大祭は8月28日、1月元旦の元朝参りが執り行われています。 
                                                                   ◆◆◆小豆洗不動尊護持会資料より◆◆◆



昭和30年前半の縁日には屋台や
芝居小屋が立ち並んだ境内


敷地の岩盤を掘り進むうちに現れた
不動尊の守り神 大龍

今も毎月28日には遠方からも
熱心に参拝に訪れる縁日


本尊をお守りする倶利伽羅不動
大龍に変身して利剣に巻きつく姿を現す

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