諏訪鉱山跡
諏訪鉱山の歴史は古く佐竹藩時代に硫化鉄鉱を採掘されていた。明治30年に瀬谷弥之助が鉱業権を得て開発した。明治42年以降経営者が次々と代った。北の沢鉱山は梅津精一に経営者が代わった時に諏訪鉱山と改称されている。第一次世界大戦の勃発に伴い銅需要が増加したため増産態勢が急激に高まり遂に、諏訪鉱山は久原鉱業権を譲渡し稼業したのである。第二次大戦によって戦時増産態勢が強化されると、従業員も240名に達し、社宅115戸を数えるようになり北の沢の人口は1.000名突破した。後半は安価で良質の海外鉱資源の輸入急増によって打撃を受け昭和40年閉山となった。今はその面影を当時の石垣等に偲ぶのみとなっている。
出典:「諏訪散歩」小泉常夫、大塚和弘、(昭和56年9月1日発行)
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