日立の徳川家史跡

会瀬浜


 会瀬浜はその昔日本武尊(やまとたけるのみこと)が 蝦夷征伐の折り、この地で妃大橘比売命(おおたちばなひめの みこと)に会われたと常陸国風土記に書かれており、「相賀」 と呼ばれていた。
光圀は元禄5年(1692)ここを訪れているが、その際港内に 七夕磯がある事を聞き、牽牛織女の伝説と日本武尊の 故事から元禄11年(1698)にここを「会瀬」と改名させた。 (左写真)
ここには「会瀬八景」が選ばれている。
幕末になって、斉昭は嘉永6年(1853)ペリ−来航の後、相次ぐ 異国船の接近に備えて、助川海防城の築城と共に 会瀬浜の北に あって旧相賀館が建てられていた新城の下の台場に初崎砲台 を設けた。

   参考文献:会瀬地域教育振興会編「ふるさと会瀬」(平成6)


      七夕磯(右手奥)               初崎海岸から砲台跡を望む

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