日立の徳川家史跡4

神峰山


 元禄8年(1695)9月光圀は神峰山に登り、神峰神社奥殿に 参拝したが、その時に山頂から太平洋を立ち昇る朝日を見て、 領内一の景色であると感動したという。
これに因んで明治22年(1889)に旧宮田村と滑川村が合併した時に 日立村と名づけた。これが現在の日立市の名前の由来である。
(左写真は神峰公園から見た神峰山)
なお、神峰公園入り口にある現在の神峰神社の拝殿はかつては 本殿であったが、元禄元年(1691)に本殿は神峰山頂の奥の院に 遷座された。
光圀はここを宮田・助川・会瀬3ヶ村の鎮守としている。
これから会瀬浜への巡幸がはじまり、後年になってささら風流物が演じられるようになった。 これらはそれぞれ県指定・国指定文化財になっている。

       参考文献:「仲町いまむかし」


   神峰神社拝殿              日立風流物

次は御岩神社



日立の徳川家史跡へ戻る