日立の徳川家史跡10

諏訪神社


 諏訪神社は建御名方命(たてみなかたのみこと)を 祭神とし、鎌倉時代の建長2年(1250)信州諏訪神社(一宮) の神官藤原高利(万年太夫)が勧請し創建したと伝えられ 第二宮と称されている。
境内は鬱蒼と下した大木に覆われて、本殿・拝殿のほか いくつもの末社が祀られている。
万年太夫は夫婦像を社に寄進したが、その後夫妻で近くに ある水穴に入ったまま帰らぬ人になり、それから水穴は 諏訪湖に通じていると伝えられてきた。
元禄2年(1689)光圀は諏訪神社に参拝した際に諏訪水穴 に入り、三の戸まで辿って「ここより入るまじ」と刻んだ という。

 翌元禄3年光圀は新しい万年太夫夫婦座像を作らせて、古い像をその胎内に納めさせた。
現在は県指定文化財として郷土博物館で陳列されている。
また藤田東湖が嘉永6年(1853)ここに参拝した時に揮毫した大幟が2流あり、市指定文化財と して現在は郷土美術館に納められている。

       参考文献:「ふれあい諏訪」


諏訪水穴                     万年太夫夫婦像

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