大雄院製錬所


大雄院製錬所 1905年(明治38年) 久原房之助氏は日立鉱山の操業を開始し、 1908年(明治41年)には製錬所を建設して本格的な銅山 経営に乗り出しました。
そして煙害防止のため、1914年 (大正3年)に高さ156mという当時世界一の大煙突を 完成させました。
この煙突は1993年(平成5年)に上部 約3分の2が崩壊し、現在その勇姿は見ることはできません。  
なお、製錬所の敷地はかつて天童山大雄院の七堂伽藍 があったところで、現在でも日鉱金属大雄院事務所の 裏手に白壁の経蔵が残っています。  
また江戸時代、1833年(天保4年)には水戸藩9代藩主 徳川斉昭がここを訪れたときに詠んだ和歌  
山水を筧にわたすそれよりも
      あやふかる世はのがれてぞすむ

と刻まれた歌碑があります。

経蔵斉昭歌碑
経蔵                      斉昭歌碑

創業小屋跡



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