関右馬允氏の三本松写真

宇梶  秀夫
平成30年2月
   鈴木彰著に『茨城百景めぐり』昭和31年発行がある。この中に行方市小幡の小幡観音寺の三本松が紹介されている。境内にある三本松は旧小幡城大手の松とい われ、幹の中ごろから三本になっているので三本松と呼ぶのだという。
 今月17日にバスで小幡観音寺を訪問した。目的は本堂前の樹齢500年のスダジイであった。参道から入りこのスダジイを見て、そのまま進むと旧行方市立 要小学校校庭に繋がっている。バスでこの学校の脇を通って来たのでその時に廃校と知り、校庭を見たく奥に進んだ。時間は一通り見た人たちがバスに戻る頃 だったが、お寺を普請している材木や道具が本堂裏にあり、その奥に作業されている方がいた。作業衣だったので、ご住職ではないと思いながら、訪問の了解を とっていたので声を掛けてみた。
 やはりご住職だった。用件をお話すると、見せたいものがあると言って、本堂の奥に取りに行ってしまった。やがて手に大判の写真パネルとコピー1枚を手に ご住職は戻ってきた。川上千尋先生が持ってきてくれたものだという。パネルの下には寄贈者の名前が大きく書いてある。ご住職尊父の筆によるそうだ。写真は 今年映画化が進んでいる「ある町の高い煙突」のモデル関右馬允氏が撮ったものである。帰宅して「ひたち巨樹の会」発行の『写真帳 茨城の松』を見てみる と、なんと表紙写真がご住職が見せてくれたパネルの写真であった。
 本堂脇には小幡城跡という見出しの石碑があった。茨城百景三本松で、高さ42m、幹周り12m、樹齢800年、小幡城の庭木、昭和39年枯れて伐採、遠 くは鹿島からも見えたとある。さらに石碑には三本松の雄姿が刻まれている。ご住職からお寺は小幡城の本丸に、旧要小学校は二の丸跡とお聞きした。