歴史ドラマに思うこと |
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金谷 俊治 平成27年5月 |
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大河ドラマは私にとって楽しみなテレビ番組である。歴史情報番組「歴史秘話ヒストリア」など若干の歴史物語を除けば私が視聴する唯一のドラマである。 以前「ノンフィクションとフィクション」という随筆を書いたことがある。一般に歴史小説は史実に基づいて書かれると思うので、大筋は実際にあったことであ ろう。尤も未だにミステリも多い。例えば坂本龍馬を暗殺したのは京都見回り組の佐々木只三郎だったのか、新撰組の斎藤一だったのか或は薩摩藩等第三者だっ たのか、或はまた加藤清正の死因は病死だったのか毒殺だったのか等々。 さて、登場人物の風貌について感じることがある。私たちは教科書や伝記、小説を通じて人となりを勝手にイメージする。目にする肖像画などもイメージ作りの 一助になっていることは確かだが。 歴史ドラマを見るとき、「アレッちょっと違うんじゃない?」と思うことがある。平成16年放映の「新撰組!」近藤勇役の香取慎吾。何しろ武骨な造りの近 藤勇の写真が現存するのだから。美男美女の俳優・女優が演じるので風貌が違っていて当たり前なのだが、頭にインプットされているイメージと異なると違和感 を感じてしまう。当の俳優さんこそいい迷惑というもの。 ところで、その時々の歴史上の人物がどんな人となりだったのかを知る上で、大河ドラマは貴重な参考資料である。たとえ作者によって脚色されていようとも。 ―自分に言い聞かせていることであるが、―「これは決して報道番組ではない」と。]
当たり前の駄文を長々と綴ってきたが、頭にインプットされている歴史上の人物と役者との風貌の違い、現存する歴史上の人物の写真と役者との風貌の違い に、“妙”を感じながらドラマを楽しんでいる |