私の「神の国」論
 田中 昭

 昨年秋、森首相が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言して激しく攻撃されたことは今なお記憶に新しい。

 私は昨年末3週間にわたってヨーロッパ4カ国を旅し、世紀を跨いでのアルプス越えを経験した。訪問先がミラノやフィレンチェなど歴史のある都市だった上、クリスマスから新年の聖年終了の時期に当っていたので、ミサや大聖堂などキリスト教関係の事物を沢山見聞する機会に恵まれた。そして私はヨーロッパが物心共に「キリストを中心とする神の国」であることを痛感したのである。

 宗教社会学者鹿嶋春平太氏の言葉通り、キリスト教の神は唯一で時間・空間を超えた絶対的な存在であり、それはイエス以来二千年間にわたって現在まで続いている。

 これに対し日本古来の神の数は「八百万」(やおよろず)というほど多いが、その殆どが森や山陰に祀られたひそやかで神秘的な存在である。その起源は大和朝廷時代に編纂された「古事記」よりも古いが、まもなく仏教が伝来し、聖徳太子等の保護によって国中に広まり、やがて日本人は神仏を共に信仰するようになった。その一方で鎌倉仏教の成立などによって仏教も日本化したのである。

 江戸時代には中国から儒教が入り、その思想は武士道の「天」や庶民の「天道信仰」などに取り入れられた。こうして日本には3つの宗教的中心が出来上がった。日本はいわば「天を戴いた神仏の国」となったのである。

 幕末の異国船の接近により欧米の侵略の脅威に曝された日本には国家意識が芽生えたが、その理論的支柱となったのが水戸学であった。その尊王攘夷論はやがて倒幕につながり、菊の御紋章を戴いた錦の御旗を翻しながら明治維新が成功したのであった。

 二十世紀に入り近代化した日本は欧米諸国に伍しておそまきながら植民地の獲得に乗り出した。そして白人による「キリスト教文化の世界制覇」に対抗して争そったが、その際持ち出したのが、「天皇を中心とする神の国」という皇国史観と、「大東亜共栄圏の建設」のスローガンであった。しかしアメリカの圧倒的な軍事力と軍部の無策によって国土は焦土と化し、日本は降伏に追いこまれてしまった。

 アメリカの占領下に入った日本では国家神道は禁止され、教科書からは過去の歴史が墨汁で塗りつぶされた。それに代わって登場したのが自由・平等と個人の権利を唱える民主主義であった。その象徴としての「平和憲法」は、神聖不可侵な存在として天皇に代わる地位を占めるに至った。こうして日本は「憲法を戴く個人の国」となったのである。

 しかし二十一世紀に入った今、政治・経済・社会あらゆる分野で制度疲労が起こり、無責任な政治家、モラルを失った官僚、社会より個人の優先を唱えるマスコミ、そして子供の教育ができない先生などが国中にはびこっている。

 国際政治学者中西輝政氏は、これらはかつて古代ローマや大英帝国末期に起こった現象であり、いわば国家衰亡の前兆であるという。その原因は日本人の「国家観の喪失」だとしている。氏は今後も日本が大国として相応しい地位を占めるためには、憲法を含めた現在のシステムを見直して歴史と伝統に裏付けられた日本独自の国家観の確立が急務であり、そのためにはまず歴史を学ぶことが必要であると説いている。

 成功例であれ失敗例であれ、過去の歴史を学ぶことにより現在われわれが直面する問題を解決するためのヒントが得られる筈である。かつてイギリスがローマの衰亡を論じたのも、八十年代のアメリカが大国の興亡を研究したのもそのためである。私はわれわれ日本人も同様にこれまで軽視されてきた歴史や伝統を客観的な眼でもっと学ぶ必要があると考えるのである。

 日本という国家は大和朝廷以来千数百年にわたって連綿として続いてきた。その成功の原因は仏教の例を引くまでもなく外来文化を日本文化のうちに融合する能力にあったと思う。仮名・書画・庭園・茶の湯・生け花なども同じであり、これらは優れた日本の伝統文化として外国からも高い評価を得ている。

 ここで眼を故郷に転ずれば、日立にも水戸にも数々の史跡や伝統行事がある。その中には弘道館や風流物のように全国に知られているものもあれば、石裂信仰や金砂大田楽などのようにあまり知られていないものもある。われわれは日本の歴史と一緒にこのような故郷の歴史や伝統を学びそれを継承して行くことも大事であると思う。 

 私は現在「助川海防城跡保全会」や、視聴覚センターの自主グループ「きらら」の一員としてインターネットを利用して日立の史跡・伝統・行事などを紹介している。これが若い世代の人々の興味を引き、後世への継承に役立てばと考えるからである。日本が「歴史・伝統にはぐくまれた和の国」になるためには、こうした小さな行動の積み重ねが必要であると思っている。

そのために今後も公民館などの講座で学び続けて行きたい。

(平成13年3月。多賀公民館ふるさと講座文集より) 


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