「 一 期 一 会 」
  相田町  佐藤広子 
  3年前の秋、冬季オリンピックの開催を翌年に控えていた長野県を訪ね、八方尾根か ら善光寺を参拝して志賀高原をめぐる2泊3日のドライブ旅行をした時のことです。

 白馬村から長野市に通ずる山間の国道406号をしばらく走ると民家が点在する静か な山里“鬼無里村”(きなさむら)に差しかかり、ふと見ると左手の山裾にわらぶき屋 根の家に赤い番傘と「観音そば」の看板が目に付き寄り道をすることにしました。 左手に狭い曲がりくねった道を入り、小川の手前に車を停め、木橋を渡ったところが 「観音そば」である。 昔ながらの農家の住まいを大切にして土間と囲炉裏等そのまま残してある部屋にござ を敷いて長テーブルを並べただけの、手作りの素朴な雰囲気に郷愁を誘われる。 すでに、家族連れ等の先客が蕎麦を美味しそうにすすっていた。

 亭主は白髪の大学教授を定年退官後始めたという、気さくな感じの方です。 蕎麦は、挽きたて、打ちたて、茹でたてが一番とお客の顔を見てから打ち始めると言 う。私も蕎麦打ちをを見せていただくことにしました。そば粉の香りがする。 蕎麦打ちは、水とこねかたが命だよと熱ぽく話しながら、休むことなくセッセトこね る手を動かしている姿に、蕎麦への思い入れの強さを感じました。 鬼無里の天然の水で引き締められた蕎麦は、歯ごたえのある“こだわりのそば”その ものの風味に舌鼓をうちました。

 帰り際に「観音そば」の由来を尋ねると、雪に覆われて観光客の少ない季節には、木 彫りの観音像造りをしているんだよ、と言って離れの作業小屋に案内され、観音像を一 つ一つ見せてくれながら、「観音そば」の命名の由来を淡々とお話しをしてくれました。

 私達は今、人生八十年時代をどのように生きるかと思い巡らす時、“第二の人生”を、 かつての仕事とは全く異なる“そば打ち”にチャレンジして、自分流の生きがいを持ち、 生き生きと楽しく過ごしておられる素晴らしい ライフ スタイルに出会い、ほのぼのと した旅の思い出となって、心に深く刻まれています。 あれから3年の月日が流れ、年を重ねるごとに「一期一会」の尊さをしみじみ思うこ のごろです。 あの方は、今日もお元気で“こだわりのそば打ち”に励んでおられるでしょうか ? もう一度お訪ねしたい、出会いの旅でした。

 戻る