はなやま ハナトピア ウオッチングコース

11月14日      (岡 和郎 報告)

 11月14日(日)塙山コミセンに15名の有志が集まり、絶好の秋日和の中、午前10時30分出発。塙山住みよいまちをつくる会の古川会長、渡辺情報部長のご案内で途中昼食休憩をはさみ午後2時までウオッチングを楽しんだ。

 塙山地区には名の通った名所旧跡には恵まれていないが、今から三百五十年前にこの塙山地区のために一命を投げ打った照山修理の足跡を辿った。
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 寛永十八年、水戸徳川家は、増税するため、農地を測量し直すことにした。金沢村は田畑が少ないため農民の生活が苦しく、これ以上の増税に耐え難いため、庄屋の照山修理が藩に対しその困窮を再三懇願したが許されず、ついに検地反対の行動を起こした。そのため捕らえられ『不届き千万』と修理及び弟主税、次男新次郎が現在の塙山小学校の裏手の山で処刑された。明治二十八年修理の遺徳に感動した代議士野口勝一が顕彰碑を現在の金沢葬祭場にある長福寺境内に建立した。村人達も修理を義民としてたたえ、命日には集まって念仏供養を行ったという。この修理のお墓は『日立史跡めぐり第十九番目』に指定されている。

 また八年前にはシビックセンターで『修理を讃える集い』が日立交響楽団も参加して盛大に行われたことは記憶に新しい。

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