日立の魅力再発見ウォーク

たじり風土記・伝説の相田浜コース

日 時: 1999年10月10日(日) 9:00〜12:30
集 合: 田尻コミュニティセンター
コース: 秋葉神社→馬頭観世音石像→弁天さま→日輪道場跡→塩釜神社→
    勢至菩薩石仏→相田浜海岸→下相田遺跡→寺前の溜池→田尻コミセン

ウォーク1
ウォーク2
ウォーク3
ウォーク4
ウォーク5


 さわやかな秋晴れの祭日、田尻コミュニティセンターに約20名が参集。案内役は相田町の大森政美さん。Jきららから江田実さんが主催者側で参加。

 田尻コミセンを出発、田尻川沿いに県道10号に出る。日高キリストの教会を横目に見て「秋葉神社」に上がる。神社の石段下に地蔵菩薩石像があった。

 天神前の山を下りて常磐線を渡ると永山家の門前に「馬頭観世音石像」がある。

 日高工場前さくら通りには 「柳弁天・松弁天」 があって境内の泉は今は工場内にある涌き水から引かれていた。

 日高グラウンドから高架の歩道橋で国道6号を渡ると高磯台へ至る。駒王国民学校の施設「日輪道場」は現在の社宅の当たりにあったそうだが今や跡形もない。

 高磯海岸通りには「塩竈神社」がある。石柱に塩竈神社とあるが、新設の鳥居には塩釜神社となっていた。境内に3基の古墳が残されている。

 「勢至(せいし)菩薩石仏」は区画整理に伴ない移築されている。

 「相田浜海岸」では、サーフィンの若者に混じって海人(あま)3人があわび漁をしていた。昨今は収獲量が減って養殖の稚貝を放流しているそうである。

 「下相田遺跡」を遠目に眺め、相田団地を経て国道6号を渡ると「寺前の溜池」に至る。溢れるばかりの遊水池であったがいまは涸れ気味である。

 西方に「田尻富士」を望みながら田尻川の立下(たてした)橋から常磐線下の隧道を潜って、田尻コミセンに戻った。

相田・名前の由来
 参考資料3 古代『常陸風土記』多珂郡道前の里飽田の村の条にみえる話。
古老が伝えていうのには、倭武天皇が巡幸してこの野で仮の宿をとった。天皇は一日山の狩りに出かけ、橘皇后を海の漁に遣わして獲物のとり比べをした。山の狩りでは一匹の獲物もとれなかった。海の漁ではあわび(鰒魚)などたくさんの獲物を手に入れた。海の幸は飽きるほど食べたと仰せになったので、後代の人は飽田の村と名づけた。
飽田(あきた)→相田(あいた)となった。

写真は上から【ウォーク御一行】
【秋葉神社本殿】【柳弁天・松弁天】
【塩釜神社本殿】【勢至菩薩石仏】


参考資料
1.「たじり風土記 ― 伝説の相田浜コース」 1999.10.10 田尻学区市民運動をすすめる会
2.「田尻ふるさとマップ 田尻の里」小さな旅」 1996 田尻学区市民運動をすすめる会
3.「新修日立市史 上巻」 1994 日立市史編さん委員会

吉田 稔 記)

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