48 歌舞伎と芝居小屋ウェルカムイベント「風流太鼓」 映画会「琵琶湖・長浜 曳山まつり」 講演会「歌舞伎と芝居小屋」 井戸端会議「知ろう語ろう共楽館」 そのなかで劇作家竹柴 源一氏の講演は次のような内容でした。 |
歌舞伎は日本を代表する演劇である。近年は役者の子弟ばかりが役者を継ぐようになったが、 このままでは疲弊してしまうのではないかと危惧される。 大歌舞伎には、江戸歌舞伎と上方歌舞伎があるが、上方歌舞伎は消滅寸前にまでになったことがある。 かつては全国の子が6歳から修業して、地芝居(例えば長浜・曳山まつり)→小芝居→中芝居→大歌舞伎 と登りつめて歌舞伎役者になる道があった。そのためには、各地方に芝居小屋がなければならない。 芝居小屋には、民間営業目的(明治座など)、農村あるいは地元スポンサーによるものなどがある。 1917年に建造の「共楽館」は、日本鉱業の従業員慰安から始まり、広く市民にも開放された。 1967年に日立市に移管され、舞台が撤去されて武道館になったが、使われて人の出入りがあったため傷み が少なかった。 「共楽館」は、再建できる毀し方がしてあった。土台がそっくり残っている。天井の構造が考えてある。 2階席の梁の張り出しが残してある。 「共楽館」には、木造特有の柔らかさがあるが、外側の躯体だけの文化財登録である。全館登録だと改装 できずに朽ちてしまうことにもなるが、幸い「共楽館」の内側は未指定である。最新の設備を内装できる →ミュージカルも上演可能である。 「共楽館」再建の建築図面を引いてみた。舞台の寸法が歌舞伎に丁度よい。花道の戻りの地下道もある。 現在新しい劇場を建てると、200億円以上掛かる。「共楽館」の劇場への改装は、数億円の単位で可能ではないか。 芝居小屋ができると芝居(ソフト)ができる。大歌舞伎と地芝居=地方の文化との交流を再現したい。 歌舞伎の教え方は、演技した人が直接伝承する。最近では、岐阜県の古い劇場での地芝居を再興するために、 年間を通じて歌舞伎役者を派遣した例がある。 大・中・小・地の輪廻で、歌舞伎を再興したい。 竹柴 源一(たけしば げんいち)氏略歴:1948年生れ。大学建築科を卒業。1976年俳優養成所を卒業し、新劇の舞台監督15年。 1982年歌舞伎狂言作者となり、現在松竹株式会社第一演劇部に所属。 (順不同、文責:吉田 稔) |
共楽館完成竣工図(1917年) 講演する竹柴源一氏 (目次に戻る) |