助川の駅家
 常陸国風土記にみる助川の駅家(うまや)は、常陸国府から陸奥国府までの大平洋側の官道に沿って置かれた駅家の一つです。駅家はおよそ16キロメートル間隔で置かれたとされていますが、助川の駅家の確かな場所は不明です。今のところ駅家があったのは日立製作所の元海岸工場付近ではないかと言われています。
      ・期日  令和3年3月10日・11日
      ・場所  日立市幸町(取材地は日立市諏訪町)
      ・取材  きららホームページの会(宮本)
日立市の助川山から見る市街地の展望です。この展望台まわりの山は平成3年3月7日の山火事の被害をうけた所ですが、市民によって植林され、緑の山に回復しています。
助川山の展望台からズームした写真です。助川の駅家があったと推される工場敷地の中央に高台(森)があり、小平台と呼ばれています。その森の中に小平記念館があり、建物の上部だけ白くみえます。風土記では地名を遇鹿(あうか)と言ったとあります。写真で海際の森周辺は、相賀(あいが)町という地名です。
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