川尻漁港と海水浴場


 川尻の浜は断崖が北風を防ぎ、筈磯が防波堤となる自然の良港として古くから栄えました。
江戸時代の寛文13(1673)年には徳川光圀がこの地方を巡検した時川尻沖で鰹漁を見たという 記録があります。
また文化2(1805)年には「五十集(いさば)」いう魚の仲買の株仲間が 結成され、加工施設などができてからは、他の浜の漁船も川尻に水揚げするようになって 活気ある漁港となりました。
加工品のなかでも肉醤(たたき:鰹の生肉を叩いて作る塩辛の一種)が有名で、水戸徳川家 から将軍家への献上品となっていました。

明治になってから川尻では日本酒の醸造なども行われ、さまざまな職人が住みつき商店が栄え、劇場が賑わい近郷近在の中心の街となりました。加えて漁港の隣の海水浴場蚕養(こがい)神社 への参拝などもあってリゾ-ト地となり、旅館が建ち並びました。
                (「ふるさと豊浦」より)


川尻港 


川尻海水浴場

 日本酒は横山大観の題字の「大観」(森島酒造)(明治10(1877)年創業 )と、 完全生酒が有名な「至寶」(日渡酒造) (明治35(1902)年創業 )があり、 販路は地元だけでなく全国に及んでいます。
        ( 「特集茨城の酒」:常陽藝文1997 6月号より)


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