度志観音と仏乃浜

(ふるさとの昔)


 田尻小学校南側山林内にある度志観音は、江戸時代、水戸三十三所観音巡りの第十五番札所 (真言宗観泉寺 [かんせんじ] 支配観音堂)になっていました。
 大正時代には、宮田町にある曹洞宗、天童山大雄院の境外仏堂として御堂が新築され、同6年頃から 昭和16年頃まで僧侶が住み、地元の人々に厚く信仰されていました。
観音さまを彫った石壁が、石造りの御堂の中に祀られています。
                                   たじりの風土記より

 昔は海のほとりで、岸辺に波が打ち寄せていたといいます。常陸国風土記には、 「 国宰川原宿祢黒麿時 大海之辺石壁彫造観世音菩薩像 今存矣因号仏浜」 (国のみこともち、川原すくね黒まろの時、大海の辺りの石壁に、 観世音菩薩の像を彫り造りき。今に在りてよって仏乃浜という) と書かれております。

その観世音菩薩像が度志観音で、彫られたのは持統天皇の頃690年代)と いわれています。
ここは昭和30年に仏乃浜史跡として、茨城県指定文化財史跡第8号に指定されました。
            田尻八景では「度志山の晩鐘」がとりあげられています。



度志観音堂

仏乃浜史跡碑