第十二話 会瀬中学校と助川中学校の合併
昭和二十二年に学校のしくみがかわりました。義務教育が小学校だけの六年間から、新しく中学校三年をふくめ九年になりました。しかし中学校の校舎がないためにそれぞれの小学校に中学校がつくられました。会瀬小学校には会瀬中学校、助川小学校には助川中学校がありましたから中学生になった気持ちになれませんでした。 そこで昭和二十三年に会瀬中と助川中がいっしよになりました。校舎は今の工業高校の一部を借りました。教室がたりないので、一つの教室で午前中は一年生、午後は二年の授業が行われました。会瀬の子は工場にそった道路や会瀬グランドを横切ったりして登校しました。戦争が終わってまもないころでしたからおなかをすかし、粗末な服を着てました。制服のきまりはありませんでしたそのころの男子中学生の遊ぴの第一ば野球でした。手作りのバットやボールでした。昭和二十六年にいまの助用中学校がある場所に木造二階の校舎ができました。工場の跡につくられたので樹木が一本もない学校でした。 新制中学は独立した校含をもつことができず、小学校の一部を校舎にあてていた。発足当時は旧制度の国民学校高等科の二学年と新ー年で編成されていた。助川中学校は日製の青年学校(工業高校の前身)の校舎と寮の一部を借用し開校したが同一敷地内に助川小学校、助川中学校、工業高校の三校があった。助川中学校は昭和二十六年現在地に木造校舎を新築し移転した。 |
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