第八話  町から市へ  昭和の初めのころぱ、多賀郡助川町会瀬でした。会瀬の人は水田や畑を耕作したり、海にでて魚やあわび、わかめなどをとって生活していました。畑は会瀬小学校から西の山にかけてや、今の相賀町から西の台地にあリ、水田は助川中学校へ行く途中や池の川の低地にありました。

 当時の日立製作所は鉱山に近い日立町宮田にありましたが、昭和三年ごろから工場を広げることにし、駅に近い、助川町会瀬の畑や田を買いいれました。昭和四年にば今の日立工場の用地がととのい、台地から工場が作られ、働く人たちの家も兎平から会瀬鹿島神社にかけての畑に会社の家(社宅)として作られていきました。

 会瀬グランドや野球場、体育館、初崎保養所などもそのころできました。工場とともに大きくなった助川町と宮田町(日立町)がいっしよになって日立市になったのは昭和十四年でした。

 工場で働く人も住む人も増えたため市内のあちこちに社宅や寮がつくられました。会瀬でも漁業や農業をやめて工場で働く人が多くなってきました。

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