御岩神社

御岩神社   
 御岩神社は、常陸風土記には「賀毘礼の宮」として記されており、古くから信仰の山として崇拝されていました。  水戸初代藩主徳川頼房は、崇敬心から御岩山を、出羽三山の一つ湯殿山に擬しその湯殿大権現をこの地に勧請し、入四間湯殿大権現としました。その後2代藩主光圀が御岩山大権現と改称するに及び、水戸藩の祈願所として、また常陸の霊場として、厚い信仰を受け、各地からの登拝者で賑わうようになったと言われています。  
 明治元年の神仏分離令によって、それまでの神仏混淆(しんぷつこんこう)が禁止になり、御岩山大権現は御岩神社と改称されています。  この時、仁王門や常念仏堂、百観音堂、大目堂などの仏教的な建物は取り払われてしまいましたが、仁王門は平成3年に再建されています。しかし庶民の信仰心の厚さから、仏事である回向祭(えこうさい)は、御岩神社の大きな催事として、これまで絶えることなく続いています。  
 境内には、次のように多くの神社が、境内神社として祀られています。   斉(いつき)神社、白山神社、事任神社、高山神社、高宮神社、愛宕神社、阿夫利神社、金比羅神社、秋葉神社、稲荷神社天満宮、羽黒神社、月山神社  また、御岩神社には多くの貴重な文化財や、神仏混淆を物語る様々な遺構が残されています。

木造大日如来坐像  
 昭和44年12月に、茨城県の文化財として指定されています。像の高さは61㎝、座幅42㎝、台座から光背先端まで139㎝、桧材を用いた寄木造りで、製作年代は室町時代の15世紀頃と言われています。

木造阿弥陀如来坐像  
 昭和47年7月に、目立市の文化財として指定されています。像の高さは59㎝、座幅48.5㎝、桧材を用いた寄木造リで、製作年代は室町時代後半の16世紀頃と言われています。

三本杉
 昭和43年9月に、天然記念物として茨城県の文化財に指定されています。この杉は、地上約3mのところから3本の幹に分れ、それぞれが直立に伸びています。目通リ幹囲は8.4m、樹高は39m、樹齢は500百年以上と推定され、県内有数の大木として著名です。

回向祭
 神仏混淆の名残を留めている回向祭は、祖霊信仰に基づき、先祖に対する供養や慰霊を行い、その冥福を祈願するもので、元来斎神社の春秋の例祭として行われていました。例祭は、春ば旧暦の3月18、・19、秋は9月5・6目とされていましたが、現在では春は4月の第3土日、秋は10月の第3土日のそれぞれ休日を利用して開催されています。  かって、回向祭には日立駅から臨時バスが運行される等、多くの善男善女が参詣に訪れていました。門前には沢山の露店が軒を並べるなど、大変な賑わいを見せていました。  特に秋の例祭での栗強飯は、名物の一品として有名です。

門前町
  門前から西北に面した入四間宿集落は、御岩神社の門前町として、桝型形式に整傭されています。  御岩神社を参詣する人たちの、宿泊や休憩所として利用されるなど、門前町の面影を漂わせています。

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