地区の概要
マップ:中里を住みよくする会 1997年3月 (抜粋)
1.中里のあらまし
中里地区を行政上は日立市西部地区という。日立市に合併する以前は久慈郡中里村といった。この地は里川の中流域にあり、中世は佐都郷に属し、上流の小里(現里美村)と下流の大里(現金砂郷町)の中間に位置しているところから、中里と呼ばれるよっになった。
中里の地形は、河岸段丘の発達した里川沿いの地域と、準平原化した多賀山地から里川に注ぐ支流沿いの山間地域の二つに大別される。
現在人口は1、789人、面積33.73kmx2、南北9.05km、東西8.17km、約60%が山林である。(平成9年3月現在)
中里地区に人が住み始めたのは数万年前の旧石器時代からで、その頃の石器が笹目などから発見されている。その後、断続的に人の住んだ痕跡が各所に認められる。
集落の移り変わりについては、江戸時代の初め頃、現在の集落ごとに村が構成されていたり、隣村里美村の一部と合併村になっていたりした。
江戸時代の終わり頃、入四間、下深荻村、東河内村、中深荻村の4村が形づくられ、明治22年含併し、中里村となった。
日立市との合併前は農林業中心の煙草、馬産の盛んな山村で、商圏は主に大田市(現在の常陸太田市)であった。多賀郡宮田村赤沢に日立鉱山が起業すると、入四間木の根坂に鉱山労働者の社宅が建てられ、鉱山の煙害等の関係で、多賀郡との交流が多くなった。
昭和30年日立市と合併、その頃から煙草耕作中心の農業が観光果樹栽培へと切り替えられるとともに、第2次、3次産業への従事者が多くなった。近年、国道349号線の整備、本山トンネルの開通により隣接地区との交流がますます盛んになってきた。
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