要害城跡
  16世紀末の平城で、城主は孫沢頼重。  古くは孫沢川(現桜川)河口の右岸にあったが、永禄 五年(1562)八月、相馬(現福島県)中村城主盛胤と太田城(現常陸太田市)の佐竹義昭が孫沢原(現日立製作所健保センター付近)で戦い、館は焼失し、のち河口の左岸に「要害城」を築いた。
 本丸・二の丸・北の郭から成り、天保検地絵図に記されている。  当時の一帯は、現在、桜川左岸の河口付近に日立製作所の要害クラブ、その隣に多賀総合病院。北の郭は、同社のテニスコートや、日立電鉄・桜川駅となっている。
 
 
 姫の井
 日立製作所・要害クラブ正門を入って、右側の土塁内 の塀の中に泉があり、水を湛えているがこれは桜川の地下水のたまりである。伝説に、当時の姫君が皮膚病にな り、この湧き水で身体を洗ったところ、全治したと言わ れている。 
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